後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第276回 政治家・田中角栄の功罪
2014-05-28
記者を志してこの四月でまる半世紀、出会った人間心理の第一人者に、田中角栄元首相を挙げたいと思います。
金離れ、気配りのよさは抜群で、自派、他派閥、他党の政治家に借金を求められると約倍額を与え「返済には及ばない」といったそうです。
官僚にも「俺の気持ちだ」と多額の臨時ボーナスを渡していたようです。
葬式に気を使い、政治家の親や妻が亡くなったと聞くと誰より早く会場に出向き花輪を届け、出棺まで退席しなかったそうです。
腹心の竹下登の父親が亡くなると、自費でチャーターした飛行機に田中派の六十九人を伴い、人口四千人の村(島根県)の葬式に参列、日本中を仰天させました。
政治家、その妻、官僚が入院すると秘書に見舞いをさせず自ら病院に出向いたそうです。
重病と知ると医師に手付け数百万をそっと渡し「(患者を)助けてください」と哀願しました。
米国に無断で日中国交回復を実現した彼を、金脈問題で葬った検察捜査の裏に米国の陰謀を感じています。
その政治天才は蓄財五百億円(今なら一千億円以上)と、徹底した気配りと鋭敏な記憶力によって支えられていました。
一九七一年蔵相から通産相に転じ、七月五日の自民党総裁選で蔵相福田赳夫を破って首相の座に就きました。
首相に就く一ヵ月前の彼を訪ね『通産省を担当することになった時事通信社の後藤です』と約十分着任挨拶をしました。
その後、中国から凱旋帰国した首相の彼は赤坂のニューオータニホテルを貸し切り新橋、赤坂芸者に総動員をかけてパーテイーを開きました。招待客は通産省詰めの各社記者約九十人。
社旗を立ててホテル正面に乗りつけた各社の車を独り応対したのが田中首相、その人でした。
側近、秘書を背後に控えさせ独りで記者を出迎えました。下車した筆者に近づき『後藤さん、よくいらっしゃった』と皺枯れ声で歓迎しました。
顔を合わせたのは一ヵ月後、この日で二度目。人間心理を熟知したその記憶力に感心しました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

