苦楽歳時記
vol98 心からほめる
2014-05-29
スペインの諺に「恥をかいて生きるより、砂をかんで生きるほうがましだ」。というのがある。
人間は誰しも人前で恥をかきたくない。良かれと思い込んでいた言動を指摘されたり、自分の述べた意見を真っ向から否定されると、いくら相手の言うことが正しくても、不愉快になったり、意気消沈することがある。
荒木貞夫が陸軍大将だった頃に帝国ホテルの宴会の席で、来賓の一人がフィンガーボールの水を飲んでしまった。すると、客に恥をかかせまいと配慮した荒木貞夫が、自らフィンガーボールの水を飲んでしまった。
豊臣秀吉が歌会の席で「奥山にもみじふみわけなく蛍……」と詠みかけると、連歌師の紹巴(しょうは)が「蛍は鳴きませぬ」と忠告した。秀吉がむっとすると、傍らにいた細川幽斎が「むさし野やしのをつかねて降る雨に蛍よりほかなく虫もなし」、という古歌がございます。と助け舟を出したので、秀吉の機嫌はなおった。
何れの逸話も、相手に恥をかかさないための心配りである。
めったに兜を脱ぐことをしない論議を好む理屈っぽい人間は、ただ自分の優越感を満たすために相手をやっつけて気を良くするだろうが、やっつけられた方は劣等感を抱き、自尊心を傷つけられる。
ベンジャミン・フラクンクリンは「議論したり反駁(はんばく)したりしているうちに、相手に勝つようなこともあるが、相手の好意は絶対に勝ち得られないむなしい勝利だ」と語っている。
議論によって相手をねじ伏せたり、恥をかかせることによって人間関係は益々硬化する。
それよりも、他者を心からほめることによって、ほめられた相手は麗らかな陽光を浴びる野バラのように、莞爾(かんじ)として微笑んで輝き始める。
そして自分の心の中にも、本当の勇気とか、喜び、思いやりが芽生えて培われていく。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

