現代社会ド突き通信
第五回 堤清二(辻井喬)さんのこと
2014-06-13
あの小さい部屋に入るや否や目に飛び込んできたのは不釣合いなほどの大きな花束が花瓶に挿してあって、その下に大きな白い封筒があった。開けてみると、“お祝い”辻井喬と書いてあり、インターコンチネンタル・ホテルの宿泊券二日分が入っていた。
私は日本の文学分野から見放されているという感覚を拭い去れないままこちらに永く住んでいるので、この女流文学賞を受けたと聞いたときは、まだ私が書いていることを覚えてくれている人がいるんだと嬉しかったが、花やお祝いの贈り物を送ってくださった堤さん、外国に住んでいて疎外された者の心境を深く理解できる想像力の持ち主、繊細で暖かい心の持ち主の堤さん。新しい友達ができたというほのぼのとした感じで連れ合いと共に抱き合って涙を流したのだった。
いつだったか忘れたが、あの昼食を共にしたときの後だったか、私たちは息子のアパートに滞在していた。息子はアメリカに用事で行っていたので。堤さんの秘書の人から、電話があって、アメリカの住所を知らせてほしいと言ってきた。私がアメリカに帰ってすぐ後、大きな小包みが郵便で届いた。箱を開けると多くの翻訳本が入っている。
慌てて秘書の人に電話をして「これなんですか?」と尋ねたのだった。彼女曰く「会長が本のリストを呉れまして、本屋さんで買ってお宅に送るようにと言うことで送らせて頂きました。会長は米谷さんが海外に住んでいらっしゃるので、きっとこういう翻訳本がやすやすと手に入らないだろうからと言っていました」
中にはマルケス、クンデラ、デユラス、ド・ブレ等等、フランス語やスペイン語からの日本語訳の本だった。堤さんの推測通り私は彼らの本を読んでいなかった。彼がロサンゼルスに住んでいた時の不便さを30年後でも覚えていて、送って下さったんだと感謝感激した。あの大企業の会長が! 全く。驚くばかり。
あれからもアジア・ペンや出版社のパーティで会ったことはあるが、個人的な話ができなかった。この度、彼の訃報を聞いて永遠にその機会を逸してしまった事に気が付いたとき、どうしてもっと無理にでも機会を作ってお話しなかったのかとずーっと心残りのままである。
御冥福を祈りながら。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。