苦楽歳時記
vol95 妾(めかけ)
2014-05-08
昔、関西では神戸ナンバーのベンツには近寄るなと言われていた。なぜならば、暴力団(ヤクザ)の可能性が近いからだ。
京都ナンバーのベンツは、名高い社寺の僧侶か宮司が所有している可能性が高いと、世間ではよく言われていた。坊主丸儲け、宗教法人は非課税と揶揄する者がいた。
一九七〇年代、ある週刊誌がすっぱ抜いた。京都のK寺とY神社の聖職者のトップが、妾を何人も養っているとスクープした。
三十七年前、出版記念会の会場で、○○県出身の視覚障害の作家S氏(往時六十代前半)と知り合った。交流が深まって二年あまりが経過したであろうか、S氏の住まいで盃を酌み交わしているときに、作家の灰谷健次郎さんと僕に、S氏は身の上話を切り出した。
S氏は、彼の有名な神社の長男として生まれ育った。物心がついたころには、親戚同士のいさかいが絶えなかったと語った。
叔父と伯母と父が寄れば、財産分与と隠し資産の件で、いざこざが絶えなかったそうである。どろどろとした人間関係に耐えきれなかったという。
S氏は幼いころから、見てはならないことを幾度も見てきたのである。ある日、父(宮司)と妾の濡れ場を垣間見てしまった。
S氏が十二歳の折、一人で風呂に入っていると父の妾が突然入ってきて、S氏の恥部をもてあそんだ。
S氏が中学二年生のとき、日ごろから誰も寄りつかない境内の奥まった小屋で、薄明かりが漏れていた。かすかに人のいる気配がする。静かに中をのぞくと、妾が全裸で縛られて鴨居にぶら下がっていた。その傍らに父が佇んでいた。
嫌がる母と妾と三人で父は寝る。広い境内の離れに妾二人を囲い、京都にも妾がいたそうである。
思春期の多感なころに、こんな環境に耐えきれなくなって、千枚通しで自らの眼をつぶした。
一連の顛末(てんまつ)は、S氏の小説『つぶす』に描かれている。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

