後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第269回 大隈重信先生の乗ったバス
2014-04-09
LA稲門会六十周年記念行事の一環、「大隈先生の乗ったバス」の講演に臨みました。
ちょん髷・紋付き袴・二本差しを長髪・洋服・丸腰に替え、幕末から蛮風残る明治、大正を駆け抜けた偉丈夫百八十㌢の九州男児。
その政治バス、教育バスの乗り降りを当日のテーマに選びました。
早大創立者、大隈重信侯は佐賀藩三百石取り鉄砲組隊長家の生まれ、二○歳早々、オランダ憲法を藩主に進講するほどの秀才で、かつ暴れ者。
拳骨に訴える前に南無阿弥陀仏を十回唱えよと母に諭され克己、後に明治の元勲と仰がれます。
薩長藩閥と対峙し、国会開設を主導し、首相として政党内閣を二度率い、大風呂敷と批判され右脚を落としても、信念を貫きました。
大隈一次内閣でのこと。藩閥益、官益で動く各省の次官、局長を全員首にして、空いたポストに政治家を充てた蛮勇は今も語り草です。
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四四歳で東京専門学校を開校、一回目の首相を降りた六四歳、同校を早稲田大学に格上げし翌年、総長に就任します。同年、総長就任を記念して早稲田魂の発露、校歌「都の西北」が制定されます。
一八七一年、会計官の大隈は円形貨幣の導入を提唱します。
「親指と人差し指を合わせたら君の好きなお金のことだよ」。
大隈の指の仕草が後世、お金を表すサインになったのだそうです。
一九○八年十一月二十二日、米大リーグ選抜チーム対早大野球部の試合前のこと。始球式に臨んだ大隈の投球が大きくそれたそうです。
打席の早大一番打者は御大の投球をボールにしてはいけないとわざと空振り、ストライクにしました。
一番打者空振りという美しい儀礼がそれ以後、日本の始球式の点景になっています。
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二次会は早稲田流ウイットのあらし。
酒宴を盛り上げた主犯格(順不同)は小川勝義、渡部隆男、水野穣、斉藤信夫、花村利明、荒木逸治、西潤郎、アーサー大本、友永順平、マックス山口、大須賀美津子、本郷洋子の諸氏面々でした。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

