苦楽歳時記
vol87 コラムとエッセイ
2014-03-13
僕が、コラムらしいコラムを書けるようになったのは、深代惇郎さんに私淑していたお陰である。往時、朝日新聞の「天声人語」を執筆されていた彼のコラムは、親しみ深いウィットに富んだ文章が絶妙であった。
社説を読まなくとも、彼のコラムは必ず読んだ。毎日新聞のある記者が、社説は「床の間」でコラムは「濡れ縁」だと述べたことがある。社説を読むときには、真剣に取り組まなくてはならないが、コラムは気軽に読めて充実感を得る。
『コラム』の原義は円柱のことである。新聞、雑誌の囲み記事、もしくは短評欄。では、コラムとエッセイとではどこが違うのであろうか。エッセイ(随筆、試論、小論)は、書き手が書きたいことを書く。一方のコラムは、読み手が読みたいことを書く。
従って、本紙の『苦楽歳時記』は、コラムとエッセイの中間にあたる。僕が悪疾に陥り右半身麻痺になって、気楽に執筆するには中間に書くのが最良と判断した次第だ。
随筆(エッセイ)の達人といえば、幸田露伴の次女幸田文(こうだあや)だ。父の露伴より文章が巧みなのではないだろうか。岡部伊都子、向田邦子も味のある随筆を書いていた。
コラムとエッセイでは、どちらが書くのが難しいのだろう。難しさでいうならば、どちらも同じだ。ただ、エッセイの方が書きやすい。コラムは読み手が読みたいことを書くので知識が必要だ。
僕の座右の書に、小塩 節(おしお たかし)の随想集『春近く』(発行所・女子パウロ会)がある。
小塩 節氏は、ドイツ文学者でありクリスチャンだ。随想集にはキリスト教にまつわる、珠玉の随筆が収められている。
僕は、この『随想集』を読んで人生観が好転した。数多くのことを学ばされた。『春近く』は、僕にとって第二のバイブルだ。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

