苦楽歳時記
Vol.76 クリスマス
2013-12-20
かつての国鉄(JR)が、駅のコンコースに大きなクリスマス・ツリーを飾ったところ、ある政治家から、「国有鉄道が特定の宗教を支持するのは憲法違反である」とのお咎めがあった。
結局、「あれは宗教ではない。季節のアクセサリーである」ということで一件落着した。
戦後、クリスマスは国民的行事となった。クリスマスになると、寺院の僧侶までもがサンタクロースに扮して、檀家の子供たちにプレゼントを配る寺もあると聞く。
そのような光景を見て、あきれ返った牧師がいたが、大乗仏教の精神からすれば、何らおかしくないのである。
クリスマスは英語で書くと『Christmas』。これはキリスト『Christ』のミサ『Mass』を意味している。
『Xmas』とも書くが、Xはキリストを表すギリシャ語の頭文字であって、英語の省略形ではない。従って、アポストロフィを使って、『X’mas』と表記するのは間違いである。
クリスマスといえば、プレゼントの交換である。毎年、このシーズンが近づいてくると、O・ヘンリーの『賢者の贈り物』を思い出す。
時節はクリスマス・イブ。古ぼけたアパートで暮らしている若い夫婦の物語である。
お金のない二人は、愛する者のためならば、自分が一番大切にしているものを手放してまでも、相手を喜ばそうとする。
夫は鼈甲(べっこう)の櫛(くし)。妻は懐中時計を吊す鎖をクリスマスプレゼントに考えていた。しかし、夫は懐中時計を質に入れ、妻は自慢の長い髪の毛を切って売ってしまった。
O・ヘンリーはこの物語の最後で、この二人こそ、最も賢明なのである。彼らこそ、東方の賢者であると、聖書から引用して結んでいる。
読者の皆さんは、もう、プレゼントの買い物は済ませましたか。「この出逢いこそクリスマスプレゼント」(稲畑汀子・いなはた ていこ)。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

