苦楽歳時記
Vol.74 夏目漱石
2013-12-05
「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。」
夏目漱石の名作『草枕』の冒頭の一節は有名だ。では、住みにくさが高じると、一体どうなるのであろうか。漱石は続けて綴っている。住みやすい場所へ引っ越したくなる。そして、どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて画が出来る。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である。
漱石は人間社会で生きて行くための雑多なしがらみと、煩わしさを嘆き、尽きることのない煩悶から離脱するためには、芸術に目を向けることが最良であると説いた。
冒頭の詞章は、言わば漱石の小言にすぎないが、漱石の研ぎ澄まされた英知によって結実した美文が、読者の琴線にあまりにも深く触れてしまったのである。
また漱石は、自己のエゴイズムと真剣に向かい合って闘った作家でもあり、四十九年の生涯において、少なくとも三回の大きな精神異常の時期があった。
文献によると、漱石は東京大学の呉 秀三教授の診察を受けて、追跡狂と診断されている。これは精神分裂病の一種である。その他の専門医の文献をひもとくと、躁鬱病であるとの見解に分かれている。
いずれにしても漱石は、『則天去私』(そくてんきょし)の理想をめざして、真っ向からこの問題に対峙していたのだ。「則天」は自然の法則にしたがうこと。「去私」は私心を捨てること。
余談として述べたいことは、後に漱石は梅毒性の疾患と係わりを持つことになる。その感染源は約二年間に及ぶロンドン留学時代に遡る。その頃が漱石の生涯で二度目の精神異常の時期に該当する。
往時、「漱石、ロンドンで発狂」のニュースが、日本まで届いていた。十二月九日は『漱石忌』。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

