後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第245回 日・欧・米の義賊の系譜
2013-10-15
十八世紀初め沖縄で活動した義賊、運玉義留の故事を調べていたら、沖縄出身の比嘉朝儀氏(元南加件人会協議会長)が関係資料をコピーで届けてくれました。
運玉は沖縄西原町と与那原町の境の運玉森(標高一五八㍍)の住人で、護衛の武士に追われると森に身を隠し、運玉と名乗ったそうです。
堂々と日時を予告し犯行に及び、盗った金品を農民らに配ったので神のように敬われました。
あるとき目をつけたのが首里城大奥に光輝を放つ金の枕。
王の寝所を侵し金の枕を盗んだものの、王の繰り出す槍に深手を負い、沼に潜って木の管で呼吸、追っ手の去るのを待ったそうです。
運玉の命運はそこで尽きますが、遺体は農民に手厚く葬られ、役人に引き渡されることは決してなかったそうです。
一九世紀初め、江戸の大名屋敷を荒らし回っていたのはトビ人足、鼠小僧次郎吉で、賭博で身を持ち崩し盗人稼業に転じました。
大名、武家屋敷に忍び込むこと三十二回。
土浦藩上屋敷を侵したところを捕縛、「初めての盗み」と言い張り厳罰を免れ、江戸追放の身となりました。
それでも懲りず武家屋敷に九十回忍び入り一八三二年六月三日、小幡藩上屋敷で再捕縛。
盗んだ金の総額は三千両以上と北町奉行所で自供、かなりの額を貧民層に配ったそうです。
当時の一両は今の三万から五万円で、仮に四万円で計算すると窃盗総額は一億二千万円以上。
一方、貴族の金品を盗って貧民に与えた英国の義賊、ロビン・フッドも一二世紀の実在人物。
しかし後世、恋人マリアンを創造するなど実在性が薄れ、活劇と愛の娯楽物語として世界で愛されています。
沖縄で運玉義留が活躍した同じ一八世紀初め、義賊のジェシー・ジェイムスが米国に現れ、銀行、列車を襲撃し総額二十万㌦以上(現通貨で四○億円)を強奪しました。
停車を強いた列車の中で「ご婦人と労働者からは盗らない。金持ち紳士から頂く」と叫んだ言葉が伝わっています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

