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コラム

苦楽歳時記
Vol.65 鰯(いわし)

2013-10-04

「いわしの頭(かしら)も信心から」とは、つまらないものでも祈念すれば、ありがたく思えることをいう。奈良町を中心とした奈良市東部には、この諺が題名となっている昔話が伝えられている。
 
「魚」へんに「弱」と書いて鰯だが、鮮度落ちの早い鰯は、漁師たちの間では「弱し」と呼ばれていた。やがてそれが転じて「鰯」となった。
 
一説には、「いやしい」が「いわし」に転じたという。平安時代の貴族をはじめ、身分の高い者は口にするものではないとされたからである。

弱し魚を素早く売りさばこうとする関西の鮮魚店では、「手々かも鰯」の掛け声で、活きの良い鰯をアピールしていたが、関西地方特有の秋の風物詩も着実に姿を消しつつある。
 
生臭さを食べぬ戒めを、鰯のようなつまらぬ魚をうっかり食べて破ることを、「鰯で精進落ち」と言うが、新鮮な背黒鰯の刺身をしょうが醤油で食べてみると、鯛も鰤(ぶり)もトロも裸足で逃げ出してしまうほどの美味さだ。
 
また、日本列島近海で初夏に水揚げされる入梅鰯の味も、格別である。
 
健康志向の反映で青魚が見直されている。青魚の脂質成分であるEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)には、血栓形成防止や血中コレステロールの増加抑制に効果がある。
 
歴史上の人物で、鰯に目が無かったのが紫式部である。平安貴族であった紫式部は、下賤とされている鰯を食べることはできない。そこで、夫(藤原宣孝)の留守中に、こっそりと鰯を焼いて食べていた。家康や秀吉にいたっては、出陣した鋭兵たちに鰯を食べさせて栄養の供給源としていた。
 
世界の鰯料理にはオリーブ油に漬けたものや、塩漬けにしたもの、そして日本の煮付けなどがある。また、脂のよく乗っている鰯に塩を振りかけて、炭火で焼くだけの「鰯の炭火焼」は、ポルトガルで最もポピュラーな鰯の食べ方である。
 
「トラックに荷揚鰯がどしゃ降れる」(榑沼けい一)。きょう、十月四日は「イワシの日」。

 


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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新井雅之

文芸誌、新聞、同人雑誌などに、詩、エッセイ、文芸評論、書評を寄稿。末期癌、ストロークの後遺症で闘病生活。総合芸術誌『ARTISTIC』元編集長。




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