キム・ホンソンの三味一体
Vol.23 本当の自由
2013-07-26
娘にとって、7月は大好きな月にちがいないと思います。まずは大好きな花火が見られる独立記念日があり、そして何よりも自分の誕生月だからです。先日、娘をつれて買い物に出かけました。誕生日だということもあり「何か一つ好きなものを選んでいいよ」とお店のオモチャ売り場で娘を放ちました。時間をかけて、いろいろなオモチャを手に取り慎重に選んでいる姿は、3歳児とは思えません。やがて最終的に選んで持って来たものは、何の変哲もない、値段もけして高いとは言えない「シャボン玉セット」でした。「本当にこれでいいの?何でもいいんだよ?」と確かめても「うん、これがいい」と目を輝かしながらシャボン玉を見つめたまま返事をします。
もし私が同じことを言われたら、おそらくオモチャ売り場で一番立派に見える高価なものを選ぶだろうなと思いました。3歳の頃はまだそうでないにしても、私達は成長の過程のある段階で、「値段」というものをその物の価値を示す絶対的な基準として学んでしまうのではないでしょうか。知識を得ることで選択の幅が広がり、より自由な人生を生きることができると、誰もが信じているその常識の危うさを思わされたような気がしました。
ともすれば私達は自分が本当に好きなもの、自分がすばらしいと思うものは何かということより、周りがそれをどう思うかを自分の判断基準にしがちになります。「これがいい」というではなく「これぐらいの値が付いたものだから良いものにちがいない」というような生き方は、本当の意味で自由とはいえないのではないでしょうか。
いつでも好きなものが買えて、美味しいものが食べられて、海外旅行にだって行ける経済力がある。このようなことこそが“自由な人生だ”と信じて疑わないことこそ、実は“不自由な生き方”なのかも知れません。社会通念をそのまま鵜呑みにして、自分の心に囲いを作り、自分自身を閉じ込めてしまうような生き方はなんと窮屈なものだろうと考えさせられました。
ところで、昨夜、家内と話していて判明したのですが、家内も買い物の時に娘から「おたんじょーびのオモチャ」と言われ、誕生日を前後に何度か買い与えていたそうです。そういえば実は私も一度だけではなかったので、二人の合計で6回はプレゼントを買ってあげたことになります。安い値段に安心していたけれど、これはもしや相手(娘)の策略にまんまとはめられたのかと二人して笑ってしまいました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

