キム・ホンソンの三味一体
Vol.20 2年と9ヶ月目の感謝
2013-05-28
最近、ある方からこのような質問を受けました。聖書の中に、イェスの教えと人格に触れて感動してイェスについて行こうとした人が、イェスに「行く前に父の葬儀を済ませてほしい」と言ったのに対して、イェスが「死人のことは死人に任せておきなさい」と答えたことは、人としてあまりに冷た過ぎないかということでした。
そういえば日本人も韓国人も先祖を大事にする文化があって、葬儀はもちろん一年中を通して先祖を追悼することは美徳であって、それを否定することはできないと思います。
しかし、その一方で、日本にも韓国にも「孝行したい時分に親はなし」という面白い言い回しが存在します。ともすれば先祖を祭るという美徳が、場合によっては、生きていた時にあまり感謝していなかった自分自身を慰めるための都合の良い道具になってしまうこともあるのではないでしょうか。そうならないためにも、共に生きているその限られた時間を無駄にせずに、相手を感謝し喜べということを言っているのではないかと思います。
実は、聖書の中でイェスが言っていることもこれに似ていて、まず生と死との決定的な違いをハッキリと認識して、自分の命を精一杯生きるべきだという本質を強調しているのに他なりません。
毎日平和な日々を送っている人々よりも、災害やテロによって愛する人々や家族を失った人々の方が、家族愛や人類愛に目覚め自分の命を感謝し、共に生き残った隣人や家族を感謝し大切に思えるようになったということを聞くことがよくあります。私たちの日常の平和な生活というのが、実はどれほど危うく脆(もろ)いものであるかということに気づかされることで、全てが感謝に思えるのだろうと学ばされます。そう考えると、夜眠ったまま事故や事件や発病によって目を醒ますことなく死んでいく人々もいる中、愛する家族と共に再び新しい朝が迎えられることは当たり前なことではないかもしれません。
土曜日の朝、「カタツムリさーん、どこですかー」と声がして庭の方を見たら、植木鉢の中から見つけたカタツムリを並べて遊んでいる2歳と9ヶ月になる娘がいました。「ママ、おおきいのカタツムリさんいたよー」「気をつけてね、落としたらダメよ」とホースで花に水をやりながら娘に話しかけていた家内のそばに一瞬、虹が見えました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

