キム・ホンソンの三味一体
vol.14 自分にとっての日本
2012-10-25
久しぶりにT君がメールをくれました。T君は私の中学校の同級生で、今でもメールのやりとりをしている間柄です。私たちの中学校は滋賀県近江八幡市にある近江兄弟社中学校というミッション系の学校でした。私が日本語が話せないことで一般の公立校に編入できず、私立で国際教育を目指す我が母校によって拾われ、入学させてもらったわけです。一人の韓国からの生徒を受け入れたことで、クラスはもちろん先生やその奥様方にまでご迷惑をかけお世話になることになったのです。
まず校長先生と教頭先生の奥様お二人による日本語学校が始まりました。使い終えた小学校の国語の教科書を使って、毎日放課後に日本語の読み書きを教えてくださいました。時折、当地の観光地や遺跡にも案内していただきました。
母校には学食がなく、基本的にみなお弁当を持ってきていました。しかし、学校の寮から通っていた私は、毎日、売店でパンやおにぎりを買ってお昼を済ましていました。そんなある日のお昼休み、T君に呼び止められました。なんとT君はお母さんにお願いして、私の分のお弁当を作ってもらってきてくれたのです。遠慮しようも有無を言わさないとばかりに勧められ、T君のお母さんの美味しい手料理お弁当をいただきました。そしてそれから、T君は毎日私の分までお弁当を2つ持って登校するようになりました。
一ヶ月ほどしてから学校の遠足の帰り、車で駅まで迎えにこられたT君のお母さんにお会いするチャンスがあり、下手な日本語でしたが、一所懸命お弁当のお礼を言いました。後日、T君のお母さんは「まだ中学生の子があんなにきちんとお礼が言えるなんて、他の子たちにも見習わせるべきだ」と言って褒めてくださっていたと聞きました。その後もT君とT君のお母さん、そして日本語を教えてくださったお二人のミセスをはじめ、皆さんとの温かい交流が続き今に至っています。
“日本”と聞いたときに思い出す優しく温かい人々の顔が自分にはあることが、世界中でともすれば国同士の不協和音が聞こえてきそうな今日この頃だからこそ、いかに恵まれているかと思わされます。政府間の形式的な親善交流ではなく、実りある民間同士の交流のためにも、我が娘を母校に留学させる計画を立てています。現在2歳と3ヶ月の娘がいつか「父がお世話になりました」とお礼をいう姿を想像しながら、まずはオムツがとれるようにならなきゃと、現実に引き戻される今日この頃です。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

