後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第192回 世界平和に通じるお茶の心
2012-10-24
先日、小笠原流煎茶道の稽古の席に臨みました。
日米文化会館三階、月二回のクラスで、稽古をつけるのは家元教授の山本秀教師=写真右。
心地よい叱咤の声が生徒平山安正氏(前パイオニア会長)=写真左=に、日本文化の木霊(こだま)となって響きました。
一途な平山氏の所作を、表千家南加支部長の宮崎マック氏(パイオニア会長)と気持ちを込めて見守りました。
茶道には抹茶を楽しむ流派と、煎茶(玉露)を楽しむ流派の二流があり、とりわけ抹茶の三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)が世人に広く知られています。
三千家は千利休の流れを汲む流派で、後に薮内家、江戸千家と続きお茶の風雅を伝えています。
煎茶道の知名度は抹茶道ほどではなく、全日本煎茶連盟加盟の小笠原、小川など三十九流から成っています。
流派乱立で、裏千家のような世上パワーに欠けています。劣勢を跳ね返すようにイスと机の立礼手前を考案したのは小川流で、礼法ベースの小笠原流は米国、中国に目を向け海外普及に努めています。
二○○九年十二月、LA総領事公邸の天皇誕生祝賀献茶式に、小笠原秀道家元が来米、茶道家元として海外初の天皇献茶を奉じました。
甲斐源氏の祖、加賀美遠光が頼朝の命で弓馬術と礼法を家伝とし、遠光の息子長清が高倉天皇に小笠原姓を賜った家柄です。
風雅と洒脱の一族で、幕末の老中を務めた小笠原長行の辞世句に、「夢よ夢夢てふ夢は夢の夢浮世は夢の夢ならぬ夢」とあります。
秀吉の辞世句「露と落ち露と消えにし我が身かな難波のことは夢のまた夢」を模した死に臨んでの遊び心に、洒脱の血筋が光っています。
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一九五一年は記念すべき年となりました。SF講和条約(九月)の席で茶道界を代表した裏千家の千玄室大宗匠が日米要人をもてなし、LA在住の松本宗静師が半東(亭主の補佐役)を務めました。
お茶は平和の象徴とされ、お茶の心を世界に広げることが全茶道の使命と考えられています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。