後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第191回 昔の妻の功は献身と忍苦
2012-10-24
エビータの愛称で親しまれたアルゼンチン元大統領ペロン夫人が亡くなって今夏で丁度六十年。
夫を支えたその功は美貌とともに世界に広く知られています。
パンパ草原の貧村に私生児として生まれ、一五歳で家出。女給、モデル、ペロンの愛人を経て、大統領に就任した彼と正式に挙式。三三歳の若さで神に召されました。
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明治維新前後の日本に大物を陰で支えた女性群が輩出します。例えば大老井伊直弼と深い関係にあった村山たか。
祇園芸者のたかは反幕派の動きを江戸に届けた女スパイ。直弼の安政の大獄を陰で支えた一人といわれています。
江戸城・桜田門外を篭で行く直弼を水戸藩士ら十八士が急襲します。
直弼を断首した二一歳の薩摩藩士、有村次左衛門は敵の刃に深手を負って自決。たかは出家し明治八年、六七歳で永眠します。 ★ ★
木戸松子は京都三本木の元芸者幾松で、若狭小浜藩士・木崎市兵衛の娘。
幕府側に追われる木戸孝允をかくまって新撰組に連行され、動じないその胆力に、近藤勇さえ感心したという女性です。
名代の好色家伊藤博文が妻にしたのは山口・馬関芸者の梅子。
女人を追い求めたすえ妻と決めた人だけに、美貌だけでなく出来物だったそうです。伊藤が大政治家になれたのも梅子夫人の内助あってのことといわれています。
石川友子の父良平は大庄屋の大富豪。後の元勲、山県有朋が「友子を嫁に」と申し出ても「貧乏武士にやれるものか」とすげない返事。
奇兵隊の軍監に就いた山県は再び「友子を嫁に」と参上します。その一念を愛でた良平は、決めていた縁談を蹴り友子を山県に与えます。
好景不長。心ならずも官軍指揮官・山県は、いまだ十代の新妻を残し、戊辰の役を転戦します。
歌人友子は俗世の泣き笑いを「弥陀たのむ心はみだの心にて思ひわづらうことなかりけり」と歌っています。
昔の妻の功は献身と忍苦。凜とのぼった女の階段に、日本の夜明けが告げられるのでした。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

