後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第187回 人災をまねいた「和」の精神
2012-08-29
昔の中国人は日本を「倭」(わ)と呼びました。
「ちび」という差別語の「倭」を嫌って同音の「和」(和やか)に変えたのは七○○年頃とみられています。
国や住人だけでなく心を表す言葉としても「和」が定着します。「和やかな心」をよしとする日本文化の源流です。
「「和」の精神は、会社の社訓にも反映されています。
例えば、丸紅は「正・信・和」、川崎重工業は「技・信・和」、シャープは「和は力なり」、パナソニックは「和親の一致」を掲げています。
武田薬品は「相和ぎ力を合わせ互いに逆らわざること」を求めています。
米社の「個人の尊厳」(IBM、J&J、モトローラなど)とは天と地の開きです。とかく「和」の精神は従順と事なかれに走るから、社内の士気は上がりません。
上司は矛盾に気付きません。「和」を求めるその口で、「社員に覇気がない」と嘆きます。
福島原発災害の原因を調べた国会事故調(黒川清委員長)の最終報告に驚きかつ感心しました。
「和」の文化を完膚なきまでたたいています。「和によって日本は滅ぶ」と、警鐘を打ち鳴らしています。
原発災害は人災である、日本人の反射的な従順さ、権威を疑問視しない態度、計画を守ることへの固執、集団主義、島国根性にあるというのです。
これに対し英紙ガーディアンは「文化の名のもとに隠れるフクシマ・レポート」と題する記事で、「重大な報告書と文化を混同することは間違ったメッセージを世界に送る」と批判しています。
事故の原因は個人が負うべきで、文化や国民に帰せられるべきでない、というのです。正論のようにみえます。
しかしそれは個人主義、多人種、多価値社会の理屈であって、集団主義、同一人種、「和」の精神による異質の日本を論破したことにはなりません。
日本文化は島国日本で培われた圧倒的な習俗の総体です。
福島の事故は人災であり、その人災は日本文化によってもたらされた、とみています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

