苦楽歳時記
vol.5 広島忌
2012-08-02
昭和二十年(一九四五)八月六日、午前八時一五分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、広島市の上空から世界初の原子爆弾「リトル・ボーイ」を投下した。
原爆のために亡くなった人の総計は、二十万人以上であると推定される。それらの人々は一般市民であり、町工場で労働を強いられていた韓国人も含まれている。
七十年代初頭に、『戦争を知らない子供たち』というフォークソングが流行した。今日では子供たちの祖父母に至っても、戦争体験を語る者が少なくなった。
毎年、広島と長崎の原爆忌では「ノーモア・ウォー」と、全世界にアピールしているが世界のどこかで、また一つ戦争が勃発している。「人類は戦争に終止符を打つべきだ。さもなければ戦争が人類に終止符を打つことになる」。ジョン・F・ケネディは、核戦争の恐ろしさに警鐘を乱打した。
戦後の復興と平和国家を維持しながら、やがて経済大国となった日本であるが、私たちが真剣に取り組まなければならない問題が、未だに横たわっているような気がしてならない。それは「過去から何を学ぶのか」というテーマで、国民の一人一人が熟考することである。戦勝国の人民も敗戦国の人々も、みんな心に深い傷を刻んで生きてきたのだ。
原爆使用の是非については、粗方のアメリカの政治家は強気の発言を呈しているが、民衆の心情は必ずしもそうではない。「広島に落ちた原爆はアメリカにも落ちた」。と語ったのは、米国の詩人、ハーマン・ハゲドーンである。「それは国民に落ちた。一億五千万人に落ちた」。詩人は語気を強めて反戦を訴えた。
ヒロシマのデルタに若葉うずまけ/ヒロシマのデルタに青葉したたれ/永遠のみどりを…(原 民喜/『原爆小景』より)
叫びがとどかない/祈りがとどかない/戦争が終わらない/広島の声が世界にとどかない(新井雅之/詩『とどかない』)
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

