苦楽歳時記
vol.2 温故知新
2012-07-14
無気力、無関心、無責任であることを三無主義。これに無感動を加えて四無主義。更に無作法を追加して五無主義。などと評して若者を批判した時代があった。
「近頃の若い者ときたら」という目下の者を批判する心情と、「昔の人は偉かった」という先人崇拝の念は、いつの時代でも語られていることである。
近頃の若い者は、口の利き方を心得ていないとは、よく耳にする言葉である。目上の者に対して敬語を使わないことや、言葉の乱れを問いただす前に、日本の国の教育方針に大きな問題点があるということを、誰もが認識しているであろう。
周知のように学歴社会の日本では、受験のための教育が盛んである。また、小学校や中学校においては、国際社会に対応できるようにと、外国人の英語教師を積極的に招聘して英語教育に熱を入れている。教育熱心であることは結構なことだ。だからと言って一部の学校では、国語の授業時間を削るというのは如何なものか。
「人間を求め、人間をつくり、人間になっていくことが教育であったはずである。今、わが国の教育から真の国語教育がなくなっていき、「人間」が失われていっていることは、何と恐ろしいことだろう」。
四十年以上前に、日本の国語教育のあり方について憂いたのは、ドイツ文学者の小塩 節(たかし)さんである。
教育は人間形成である。このことを本当に肝に銘じているのであれば、その基礎を成すところの「音読」と「作文」、そして「韻文」に全力を注ぐことにある。
正しい言葉で詩や散文を綴りながら、想像力を培う時間を充分に過ごしていないと、正確に自己表現することが苦手になってくる。人間形成をめざす国語教育は、真の国際人になるための第一歩だ。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

