後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第180回 六○年代末のビートルズ
2012-07-14
ビートルズが初めて日本で歌ったのは今からちょうど四十六年前、一九六六年の六月三十日、七月一、二日、三日間のことでした。
「日本武道館で碧い目のポップグループに歌わせるとは何事か」。不穏な動きを危惧した警視庁は、警察官に緊急出動を命じました。
観客一万人に対し三千人余の警察官が会場に動員されたそうです。
入場料はA券二千百円、B券千八百円、C券千三百円の三種。
B券千八百円は当時のビール大瓶(百二十円)十五本に相当する値段で、ビートルズ人気を考えれば良心的な料金設定になっていました。
七四年から七八年にかけLA特派員を務めて帰国した筆者に八二年春、米商務省から一通の招待状が届けられました。
「貴殿が帰国して四年になる。その後の米国の変貌振りを貴殿の眼で確かめてほしい」という趣旨でした。
折角の招待なので会社の了解をとり、二週間の米国視察に出かけました。移動、宿泊、食事などにかかるトップクラスの全出費を米政府が持つことになりました。
ロサンゼルス、ヒューストン、シカゴ、ワシントン、ニューヨークの五大都市、二十余ヵ所の視察を終えて帰国しました。
タイムズ・スクエアに近いヒルトン・ニューヨークに宿泊したときのことです。
四十四階のスイートに落ち着くや否や、ワインと果物篭を持って正装の総支配人が挨拶に来ました。米政府招待のVIPなので下におけないという態度でした。
総支配人は「ビートルズのジョン・レノンが六八年、この部屋に泊まって代表作のイマジンを書いたのですよ」などと語り始めました。
女性掃除人の一人が屑篭に捨ててあった十枚ほどの紙屑を手に、大騒ぎしていたそうです。
当時の支配人に「これはジョンの直筆です」というので、読むと「想像してください」で始まる未完のイマジンが殴り書きされていました。
レノンの丸めた紙は今もホテルの貴重品箱に保管されているそうです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

