龍馬ゆかりの人々
第60回 今は昔の物語
2012-06-23
更新日: 2012/06/23 | コラム名:龍馬ゆかりの人々
筆まめであると同時に名文家であった坂本龍馬から、妻のお龍さんには事のほか手紙を書いたであろうが、現在残っている手紙は一通だけである。後世の人はあらゆる手だてを尽くして探し求めた。
龍馬とお龍の関係は夫婦であり、同志である。その濃密な関係は竜馬の姉、乙女ねーやんとは異質の愛情関係をみる。
唯一残されている手紙を、坂本龍馬研究者の第一人者と位置ずけられる宮地佐一郎氏の『坂本龍馬書簡集』から再現する。宮地氏は、1924年、高知市に生まれ、80歳で他界するまで、幕末から昭和の隠れた歴史を追う。
慶応三年五月二十八日 お龍あて
その後はさだめて御きずかい察入候。度々紀州の奉行や船将などに引き合いしましたが、何分にも女の言いぬけのようなこと、此の頃は病気だと言って会わない様にしていますが、後藤象二郎と両人で奉行に出かけ充分にやっつけました。
段々議論が始まり昨夜は今井、中島、小田などとやかましくやりました。皆、夜中の12時に帰りました。昨日の朝は私が紀州の奉行に行き、充分話し合いました。
又、後藤象二郎が紀州の奉行に行き、やかましくやりつけ、もうたまらんことになって薩摩藩に頼みこんでどうにかしてくれよとのよし、薩摩藩よりイロハ丸の船代、またその荷物のお代と船代をお払いくだされば宜しいが、土佐のサムライを鞆の浦に置き捨てて置くことことは宜しくない。
ここで手紙の前半となる。この後にはその結着をお龍に書いているのだが、現代の男性ならば妻や愛人に政治向きの話をするのは稀なことであろう。龍馬がよほどお龍を信頼していたか、お龍自身がなかなかの女性であったと理解できる。
次回では手紙の完結とする。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

