後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第174回 サッカーボール、五千㌔の旅
2012-06-23
名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ。故郷の岸を離れて汝(なれ)はそも波にいく月。
日本の代表唱歌のひとつ、「椰子の実」の詩は、伊良湖岬(愛知)に椰子の実が流れ着いたという民俗学者・柳田国男の話に、島崎藤村が着想を得て、書いたといわれています。
明治三十一年春のことです。
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東北大震災に発したサッカーボールが一年二ヵ月を経て、五千㌔離れた米アラスカ沖などに流れ着き、話題になっています。
連邦航空局レーダー施設に勤めるD・バクスターさんがボールを拾い日本人妻のゆみさんに見せたところ、予感が的中。
日本語でボールに「村上岬君がんばれ」と書いてあり、岩手・陸前高田で被災した村上岬君(一六)のものとわかりました。
転校する村上君に友人らが寄せ書きをしてくれたサッカーボールでした。
カナダ沖には「おおたけはるか」と書かれた別のサッカーボールや甚宝丸と書かれた大漁旗、「男子バスケ部」と書かれたバスケットボールやバレーボールも流れ着いているそうです。
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漂流物はボールや大漁旗だけではありません。
八戸港(青森)に係留していたイカつり漁船が、カナダのブリテイッシュ・コロンビア州クインシャーロット諸島の二百二十㌔沖合いに、漂流していました。
函館市漁業者所有の「海運丸」百五十㌧で、消息を絶つと船の所有を放棄、船籍を抹消していました。
他船との接触の危険があるので、カナダ当局は爆破処分にしたそうです。
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この世と煉獄間をさまよう幽霊船が南ア・喜望峰沖に出没するという言い伝え。これをオペラにした「さまよえるオランダ人」(ワグナー作曲)の呪いの歌が聴こえるようでした。
東北の震災地に発した廃棄物は合計二千六百七十三万㌧。太平洋を漂流している瓦礫の量は約百五十万㌧、うち漂流船は四百六十一隻。 無人船の一部が今も幽霊船さながらに太平洋をさまよっているかもしれません。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

