龍馬ゆかりの人々
第58回 お龍と君枝
2012-03-27
更新日: 2012/03/27 | コラム名:龍馬ゆかりの人々
坂本龍馬を取り巻く多くの人物は、新しい時代の激流の中で生きながらえて明治の歴史の一頁を飾った人もあれば、そうっと消えて行った人もある。そうした人たちの中には、良きことをした人ばかりではなく悪名を残して逝った人もいる。時は確かに全てを浄化していくが、後世の人々は何が良かったか、何が悪かったか、それぞれの受け止めに委ねるしかない。
さて、龍馬亡き後、龍馬の妻、お龍さんの生涯はどんなものだったか。憶測と思いやりの交錯する中を知りたいと思う人は、私ばかりではないであろう。
お龍は、千屋(ちや)寅之助に引き取られた。寅之助は高知県安芸郡和食村の庄屋、千屋民五郎の三男として生まれた。千屋家に引きとられたお龍は妹の君枝としばらく高知に留まった。明治元年から僅か一年余の滞在期間であった。それからいずこに行ったのか、その足取りははっきり分からない。
龍馬が生前「お龍さんのことを頼む」と手紙を書いた長州藩の三吉慎三の所へ頼っていった気配もない。しっかり者のお龍はどこへ流れていったのか。終焉は横須賀の地である。
お龍の妹、 君枝は高知の寅之助に妻として迎えられた。現在、 芸西村の琴ヶ浜にお龍と君江姉妹が空に向って手を挙げている銅像がある。龍馬と強く結ばれた姉妹が龍馬に届くような手の先を空の一点に向けている。
妹、君枝と寅之助の子孫がここロサンゼルスに在住している。世の中とは何と不思議な巡り合わせであろうか。その人の名は、ロビンソンまりさんという。高知出身のお母さんも健在で、世の中は狭いものである。
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桂浜の龍馬に向かって手を振るお龍と君枝姉妹の銅像=高知県芸西村琴ヶ浜
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

