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コラム

龍馬ゆかりの人々
第57回 龍馬の足跡を訪ねる

2012-03-24

更新日: 2012/03/24 | コラム名:龍馬ゆかりの人々

 坂本龍馬の足跡を尋ねてみて、今まで聞いていたことに出会うと「なるほど」と納得するが、表舞台に隠れていた人物や史跡に出会うことが往々にある。「あーそうだったか、さもあらん」と風評だったことに初めて裏付けの記録を目の前にしたときには感慨ひとしおである。
 龍馬たちの荒々しい行動ばかり言い伝えられている陰で、豪商といわれた人たちは躍動する政治の陰でじっくりと時代の流れを把握していた。
 小曾根六左衛門という人物の人となりは単なる商人であった。海援隊の後援者であった一連の人たちだと認識していたが、長崎に来てもう一度小曾根家の由来に触れることができた。
 記録によると小曾根家は幕末において豪商といわれる一人に名を連ねていた。六左衛門は福井藩ご用達だったが、長崎においていち早く時代を先取りした感覚は、龍馬たちのそれに共通する。
 安政6年(1859)に大浦居留地が建設されると聞くやいなや、その近くに居を構えた。現在は小曾根町として長崎の歴史としてその名を残している。父・六左衛門の商才もさることながら、その子息・栄は商才よりも文人家で、小曾根家は長崎の文化人が集まる拠点となり刻々と移りゆく時代のしぶきを浴びていた。
 そこには勝海舟あり、坂本龍馬あり、亀山隊員たちが参集していた。亀山社中の運営に貢献した近藤長次郎(土佐藩出身)は英国への単独航海の計画が露見し、慶応2年(1866)、小曾根邸の一室梅の間で切腹する。小曾根家はこの青年志士を小曾根家の墓地に葬り菩提を弔う。
 長崎において生きぬいた人、挫折した人、理不尽に命を奪われた人、多くの若者が時代の陰にいた。嵐の後に新生日本の礎を築いた歴史を長崎で再確認をした。

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小曾根邸の跡の記念碑

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風頭公園の坂本龍馬像


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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飯沼信子

著述家。静岡県沼津市生まれ。歴史の中に埋もれた、海外で活躍した日本人、
その妻らを取り上げ、「野口英世の妻」「高峰譲吉とその妻」等の本を著す。
2006年、その功により、日本政府より旭日単光章を受章。日本ペンクラブ会
員、日本エッセイストクラブ会員。ウエストヒルズ在住。




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