キム・ホンソンの三味一体
vol.5 与える喜び
2012-02-21
今月で18ヶ月になった私たちの娘は、おぼつかない手つきでなんとか自分でもご飯を食べられるようになりました。私や家内に自分の食べ物を差し出して食べてもらうのが大好きなようです。美味しそうに食べて見せると、とても満足げな表情で笑うのです。自分に必要なものはすべて人から与えられるしかなかった娘が、「人に与えたい」という気持ちを持ってくれるようになったことをとても嬉しく思いました。
日本で大学生だった頃、バングラデシュの識字教育を行うNPOを研修で訪れたことがあります。夏休みの2ヶ月間、ダッカ市にあるNPOのオフィスに寝泊まりしながら、各地の識字プログラムを見学させてもらいました。プログラムがない時は、オフィスの管理人の奥さんが作った美味しいカレーをいただきました。いつもボリューム満点で鶏肉がたくさん入っていて、「こんなにたくさんは食べられません」と言うと、「食べられるだけ、ゆっくりと召し上がって」といつもおっしゃいました。
研修旅行も終わりに近づいたある日の午後、私はいつものようにオフィスの食堂で美味しいカレーを思う存分堪能して、図書館に出かけたのですが、たまたま忘れ物に気づいてオフィスに戻りました。管理人さんご夫妻と3人のスタッフの方がオフィスの食堂で、私が残したカレーを食べていました。彼らはまずゲストにあるだけの食事でもてなして、そして、その残りを食べることを人の道理としていたのです。とてもショックでした。最貧国の一つである国に支援のあり方を学びに来ていたはずの自分が、現地の人々の貴重な食事をバクバクと必要以上に大食いしていたのです。
私はその週末、管理人ご夫妻をはじめスタッフとそのご家族全員をダッカ市内のレストランに招待しました。(困った時に使うようにと父からもらった餞別がこのように役に立つとは思いませんでした)楽しい会話の中、皆さんにそれまでのお礼とお昼ご飯のお詫びをしたところ、「私たちは“旅人をもてなす心を持ちなさい”と教えられています。あなたがたくさん食事をされて残りが少なかったときほど、私たちが神の教えに忠実であることを確かめられてとても嬉しかったのです」と一人のスタッフがおっしゃったのを今も覚えています。
自分のよだれでベトベトになった赤ちゃん用せんべいをしきりに勧めてくる娘を見ながら、バングラデシュで出会えた貧しいながらも人に与える喜びを知っている心豊かな人々のことを思い出しました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

