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コラム

龍馬ゆかりの人々
第48回 キャピタン・ジェームス

2011-05-16

 前々回に登場した関義臣が龍馬の次に尊敬と忠誠を尽くした人物について義臣の記録を遡ってみる。
 幕府の長州征伐は大敗に終わり、いよいよ海援隊の出番となるが、義臣はかねてから海外に渡航して見聞を広めたいと考えていた。龍馬に胸のうちを話した。長崎にいるイギリス商会グラバー氏とローナー商船会社のキャプテン・ゼームスの仲介により、事は意外に早く進展した。
 龍馬は、自分の目で世界を見たいという夢を持っていたが、今は、此処日本を離れるわけにはいかぬ。義臣の忠誠を信じて、キャピタン・ジェームスに委ね、イギリスへの渡航を許した。いずれ義臣の持ち帰る外国の現状を知る事が出来ると期待した。義臣は、龍馬以下、海援隊の熱い期待を背負って出航した。しかし、この渡航は日本の國禁を破る密渡航である。義臣は、長州藩の川越祥之助と変名した同志と共に乗船した。
 時は慶応2年(1866年)7月10日、長崎を出航した。初めて見る外国は、中国の上海である。香港に無事、到着した。見るもの聞くものすべてが、新世界である。次の停泊地は、シンガポールである。台風シーズンの前兆か、海は荒れ始めた。日本を出航して早や一ヶ月。順風満帆の航海であったが、波は高く、風は強くなる一方である。
 義臣の記録には、「風は益々烈しく、波はいよいよ荒れて、船は九天に上り、又は奈落に落ち、一同僅かに勇を鼓して、のこれる一台のポンプで水を吐きだして居る。水は一滴も飲まず、食事は一切せず、空腹と疲労とで、わしと宍戸の両人も日本男児じやと、勇気も何処へやら、大いに閉口した」とある。相当に弱りきっていたようだ。
 この嵐は、まだ続く。勇んで龍馬に挨拶して出航してきた義臣の第一の挫折感である。

 キャピタン・ジェームスに心服し、西洋事情を知りたい若き青年関義臣とキャピタン・ジェームスの関係は、人種を超えた温かい関係へと発展する。キャピタン・ジェームスのヒューマ二ズムに触れてみたい。


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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飯沼信子

著述家。静岡県沼津市生まれ。歴史の中に埋もれた、海外で活躍した日本人、
その妻らを取り上げ、「野口英世の妻」「高峰譲吉とその妻」等の本を著す。
2006年、その功により、日本政府より旭日単光章を受章。日本ペンクラブ会
員、日本エッセイストクラブ会員。ウエストヒルズ在住。




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