龍馬ゆかりの人々
番外編1-3 「政治家としての龍馬」
2010-12-14
隔週連載の飯沼信子著「龍馬ゆかりの人々」だが、今回は番外編。同コラム第37回で触れられた「第22回 全国龍馬ファンの集い岩手一関大会」にパネリストとして参加した“龍馬ゆかりの人”、京都祗園龍馬会初代会長・片岡幸嗣さんの論文を4日間連続で掲載する。
第3回 薩長同盟 何故、薩長英が結びついたか by京都祗園龍馬会 片岡 幸嗣
坂本龍馬は、慶応元年閏5月5日に下関で、桂小五郎と面会して薩長和解を説きます。西郷吉之助との会談設定をするも、閏5月21日、中岡慎太郎から下関に向かっていた西郷が急遽、京都へ向かった旨の報告を受け、面子を潰された長州藩は薩摩憎が再燃します。坂崎紫潤編『坂本龍馬海援隊始末記』によると、「慶応元年閏五月二十九日(中略)二人(坂本龍馬と中岡慎太郎)ハ木戸ノ怒ニ逢イ長藩ノ名義ヲ立ル為メ薩藩ヨリ先ッ和解ノ使者ヲ出サシメ且ッ薩藩ノ名義ヲ以テ長藩ニ汽船ヲ購入スルノ事ヲ交渉セシム」とあり、桂小五郎が薩摩との和解条件として薩摩名義で武器購入を出したものと思われます。
事態解決の為6月下旬に京都薩摩藩邸に入った坂本龍馬と中岡慎太郎は、西郷隆盛、小松帯刀と会談を行い、 薩長和解の為薩摩より長州に使者を送る事を主張し、また薩摩名義での武器購入の承諾を得ます。7月21日以降、長崎薩摩藩邸を拠点に近藤長次郎、長州藩士・井上聞多、伊藤俊助が買付けをし、英国と薩摩藩との交渉を行います。長州藩は、半年の間に、薩摩名義で、銃各種一万千百挺で十三万八千八百両、汽船櫻島丸を五万両、大砲も購入し、三田尻へ極秘輸送しています。
英国が薩長両藩と取引したのは、米南北戦争終結に伴い銃の在庫処分をしたかった事とグラバーがイギリス外交と薩長の間に関係が出来るよう行動したからです。
仏国公使ロッシュと幕府は長州藩を警戒し、列強各国に馬関(下関)戦争停戦条件の海峡武装禁止を再確認し、 英国に監視活動を担当させます。四国共同覚書が調印され仏国と幕府にとって全てが有利に進む中、英国公使の交代があります。前公使オールコックは幕府への不信感や薩長の攘夷派が開国派に転身した事を本国に報告しており、新公使パークスは上海領事の経験を生かして公使就任後、各藩と積極的に会見して薩長両藩と英国を結びました。
薩長英を実利的に結びつけたのは、脱藩浪士の中岡慎太郎と坂本龍馬、そして海運貿易と海軍業の亀山社中と彼らを支援した土方久元、田中顕助であります。
筆者プロフィール
片岡 幸嗣 (京都祗園龍馬会初代会長)1974年生まれ。坂本龍馬との縁は、片岡家先祖代々の墓は、坂本龍馬が遭難した近江屋の裏、称名寺にあること、そして、「幸嗣」という名前は、伏見の寺田屋に隣接する寺でつけられたこと。
京都祗園龍馬会ホームページ http://ecobarri.jp/gion-ryoma/
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

