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JANMへ行こう!! vol.43 - 亡き父が暮らした国・アメリカの歴史を伝える


今月のボランティア
田島喜八郎さん

田島喜八郎 1942年、福岡県生まれ。日系二世の父と日本人の母を持つ。1968年に渡米。南加県福岡県人会の活動にも長年携わる。同県人会100周年式典を機に、日系移民史に興味を持つ。また同県人会で、JANMガイドのロッキー山田さんの勧めもあり、JANMでボランティアを始める。



田島さんの父親の家族写真。祖父。田島吉次郎が叔母を抱き、祖母・ミヨシの前に立つ田島さんの父親・貴美雄さん
―田島さんのご家族のついてお聞かせください。

僕の祖父は20代の頃に、アイダホ州でポテトの栽培を学ぶために福岡県八女郡から単身で渡米しました。結婚適齢期になると、同郷から祖母を呼び寄せて結婚しました。二人は遠縁に当たるので、写真花嫁とは事情が違いました。
僕の父と叔母はアイダホで生まれたので日系二世です。父が5歳くらいの時に、祖父はアメリカで一財産を築いたので、家族と共に故郷の福岡へ戻り、帰郷後は山や田畑を買いました。子孫が後々困らないようにと山には杉を植樹したり、田畑では米やポテトを作っていたようです。


―田島さんのおじいさんは、故郷に錦を飾ったんですね。日系二世のお父さんは、アメリカに戻ったと聞きました。

父の意志だったのかどうか分かりませんが、父は勉強するためにアメリカへ戻り、ロサンゼルスの高校に入学したそうです。しかし、父が大学2年の時に、「長男だから日本へ帰国するように」と祖父母から言われ、父は再び八女郡へ帰りました。しばらくして同郷の母と結婚しました。
父はアメリカと日本の国籍を持っていたので、日米が開戦すると、父は日本兵としてニューギニアに配属されて戦死しました。28歳でした。叔父二人も戦死しました。田島家の祖父母も戦後に亡くなり、母は田島家の本家の長男の嫁として田島家に残り、僕を女手一つで育ててくれました。
僕が生後10ヶ月の時に父は召集されたので、僕は父の顔も覚えていません。小学校の頃に、「なぜ僕は戦争遺児なの?」と母に聞きました。すると母は「お父さんはアメリカ生まれでアメリカにも行ったことがあるのよ」と話してくれました。父がいない分、父を慕う気持ちが強くなり、その頃からアメリカへいつかは行ってみたいという気持ちが芽生えました。


―田島さんも本家の長男なのに、お母さんはアメリカ行きをよく許してくれましたね。

普通では考えられないことだと思います。いけないことをしたと思っています。母は、田島の本家の長男の嫁として、父の死から10年ほど経って婿養子をもらい再婚しました。しかし継父も早くに亡くなりました。僕には異父弟妹が二人いますが、僕は母と弟妹を置いてアメリカへやってきました。母は、生後10ヶ月で父を失った僕が、アメリカへ行きたいだろうなと僕の気持ちを十分分かっていたので何も言いませんでした。

―お嫁さんのお母さんが、田島家を守ってこられたんですね。

親戚の方は田島さんの渡米について、どうでしたか。
田舎なので、親戚は、「長男なのに無責任だ」と言ったようです。しかし母は一言も僕に言いませんでしたね。
僕は、親にそういうことをしたから、失敗は絶対に許されないという決意でアメリカに来ました。「あの子はアメリカへ行って良かったんだ」と絶対にならなくてはいけないというプレッシャーがありましたね。


―お母さん、すごいですね。

あの頃の人は忍耐力がありました。「このような境遇は自分だけじゃないから仕方がない」という部分もあったと思います。だから希望を持っている僕に「私のことはいいから、あなたはアメリカへ行きなさい」って。ある意味、寛大だったように思います。母には本当に感謝しています。
また、僕が渡米できたのは、母の面倒をみてくれる弟と妹が日本にいたからです。二人には本当に感謝しています。


―田島さんは、どのようにしてアメリカに来たのですか。

僕が23歳の時、大牟田で炭鉱の爆発がありました。その頃、南加福岡県人会を代表して縁戚の大籠七郎さんが見舞金を持って訪日したというニュースを新聞で見ました。そこで大籠さんに会いに行きました。すると大籠さんは「お~キミちゃん(田島さんの父親)のボーイか!」って声をかけてくれました。僕がアメリカへ行きたいと話したら、「留学してきなさい」と言ってくれました。
アメリカに行きたいと思っていたわりに、僕は英語がまったくできなかったので猛勉強しましたよ。23歳から始めるのは遅すぎるかなとも思いましたが、何十年か後に悔やむよりも行った方が悔いはないだろうと思いました。ロサンゼルスの大籠夫妻が僕の身元引き受け人になってくれて、26歳の時に渡米しました。


―アメリカでの生活はいかがでしたか。

僕の場合は遠戚がいてゼロからの出発ではなかったので、とても幸運でした。英語で苦労しましたが、生活面での苦労はありませんでした。やはり先駆者の日系人の方々、日系人部隊の442の活躍などがあり、そのお陰で1968年の時点では、表面的には人種差別を感じませんでした。また県人会のイベントに参加したりしながら、日本語の聞こえる日系人コミュニティで生活したので、僕は彼らに守られていたと思います。

―お父さんが暮らしていたアメリカに来て、いかがでしたか。

幸せです。現在、JANMでガイドとして来館者のみなさんを案内していますが、父が生まれた国の歴史を、アメリカの大地で日系人は頑張ったということを、父に代わってお伝えできることを父もきっと喜んでくれているかなと思います。(照れ笑い)

田島さんの父親・田島貴美雄さん。180cmを越える長身だった
田島さんの母親・田島ハズヱさん。赤ちゃんだった田島さんとを抱く



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写真・文・構成 Tomomi Kanemaru



JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!

入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2014/09/20 掲載


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