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日系社会のフロンティアを尋ねる vol.4 - アイリーン・ヒラノ・イノウエ 米日カウンシル会長
日系社会で活躍するリーダーと各界で活躍する日系リーダーを尋ねるシリーズ。第4回目は、米日カウンシル(U.S.-Japan Council、以下USJC)の会長、アイリーン・ヒラノ・イノウエ氏にインタビューした。

アイリーン・ヒラノ・イノウエ

ロサンゼルス生まれ、ガーデナ育ちの日系三世。2008年ダニエル・イノウエ上院議員と結婚。ロサンゼルスにあるJANM(Japanese American National Museum:全米日系人博物館)の初代CEOを務める。2008年に非営利団体の米日カウンシル(U.S.-Japan Council:USJC)を創設し、2009年にUSJCの事務所を開設。東日本大震災後、継続的な復興支援が必要と強く感じ、次世代を担う日本とアメリカの若者たちの育成と交流を促進する「TOMODACHIイニシアチブ」を在東京米国大使館とともに立ち上げた。米日の交流に長年にわたり貢献したことで、2012年度国際交流基金賞を受賞。



リスクを取ることを恐れない父から影響

―USJC以外にもフォード財団などさまざまな団体で役職に就かれていますが、どのような子供時代でしたか。

私の父は日系アメリカ人で母は日本人です。子供の頃は、まだ存命だった一世の祖父とも一緒に過ごしました。戦時中、祖父や親戚はアーカンソーの強制収容所に入れられました。父は既にMISとして入隊していましたので収容所には送られませんでした。
学生時代は、いつも生徒会で活動をしたり、さまざまなコミュニティーサービスをする団体やクラブに所属していました。


―ご両親からはどんな影響を受けましたか。

日系二世の父は、いつも指導的立場に立ち、リスクを取ることを恐れず、失敗するかもしれないことでも誰よりも先にトライするような人でした。このような父から受けた影響は大きいです。
多くの二世の両親に共通することですが、三世の私たちは“アメリカ人”になることを強く意識して育てられました。母の家族が日本にいたので日本と繋がりはありましたが、私たち兄弟は、100%“アメリカ人”であるように育てられたのです。たとえば、日本語のミドルネームを持っている三世もいますが、私たちにはありません。


―選択が他にもあった中で、なぜ日本なのですか。

初めて日本を訪問したことで私の人生は変りました。おもてなし、親切心、誠実な友好関係がなにより印象的でした。私は古い伝統を重んじるというより保守的です。もし友人になったら強い絆を大切にします。これは日本から継承したと言えます。日本人は中学を卒業して30年経っても友人関係があり、そこに首相になった生徒が来ても恩師は恩師で、恩師を「先生」と呼ぶでしょう。このような価値観が私にはとてもしっくりくるのです。
愛知県で英語を教えていた頃、私は自分自身を“一人の外交官”と意識して人々に会いました。日本人は私を通してアメリカがどういう国なのかを感じますから。アメリカに帰国したら、知り合いから「日本にはたくさんの“チャイナマン”がいるの?」と質問されました。これを聞いて固定観念を壊すためにアメリカですることがたくさんあると認識しました。当時、日本は経済大国になったけれど、アメリカ人が日本について知っているのは、ゲイシャガール、ソニーウォークマン、日本車。アメリカ人は日本人についてほとんど知りませんでした。だからJASの存在を知って、私にぴったりだと思いました。



日系史を知るほど私たちがどれほど恩恵を受けているか分かる

―日系アメリカ人としてのアイデンティティーを意識したのはいつ頃ですか。

大学で日系アメリカ人の強制収容について学んだときでしょう。
それまでは、日系人の歴史、私の祖父や叔父たちが経験した歴史を充分理解していたとは言えません。振り返ってみると、叔父や叔母が収容所の話をするのは、辛かったことではなく楽しかった思い出話ばかりでした。私が質問して、はじめて当時の苦労を話してくれたのです。
それがきっかけとなって、私は自分自身のアイデンティティーや家族のルーツについて考えるようになりました。また当時は、公民権運動が盛んだった頃でしたので、すべてのマイノリティの権利や平等について活発な議論が行なわれていました。
私が通ったガーデナ高校の生徒たちの人種はとても多様でしたので、アメリカのどこかで同じ権利や自由を持たない人がいるとは考えもしませんでした。
大学で、さまざまなことを学び、さまざまな活動をしたお陰で、それまで個々の事象について散漫な理解しかできなかったことを、総体的・大局的な観点から理解することができるようになったと思います。
小さい頃に、戦時中の一世たちの苦労話など耳にしたことはありましたが、だんだんと、彼らがどれだけ大きな犠牲を払ったのか、私たちのために何をしてくれたのかが分かってくると、アメリカで生きる私たちがどれほど恩恵を受けているかが分かります。


―初代のJANM(全米日系人博物館)のCEOを務めましたが、なぜこのポジションに就く決心をしたのですか。

大学での専攻は行政学でした。行政学を専攻した学生の多くは、政府関係または非営利団体で働きます。私はワシントンDCで政府関係の仕事を数ヶ月しましたが、非営利団体の分野により興味がありました。
ロサンゼルス市のコミュニティー・ヘルス施設の初代ディレクターを務めました。13年間務めたので、変化を求めていました。その頃、JANMの創設メンバーたちからディレクターとして働いてほしいと要請がありました。彼らは幾度も訪ねてきて、日系人の歴史と経験を保存し共有することの重要性をとても熱心に私に語ったのです。
ヘルス施設も一から作りましたが、博物館をゼロから作るのはおもしろいチャンスだと思ったので、私の経験が違った形で貢献できるならばと考え、引き受けました。


―JANMの最もすばらしい功績は何でしょうか。また、ご自身はいかがですか。

日系人の歴史と経験が保存される常設施設が作られたことは非常に大きなことです。当時すでに多くの一世が亡くなり、二世も高齢化する中で、多くの資料が失われ、捨てられていました。博物館が設立されたことにより、そうした資料の保存場所が作られたのみならず、日系人の体験をアメリカ人の歴史の一部として受け継いでいきたいと考える人々がアメリカ国内や日本からが集うようになりました。
個人的には、いろいろな人々を結びつけることができたことを本当に嬉しく思っています。いわば人と人とのパイプのようなものですね。当時、まだ博物館の建物もプログラムもないときから、アイディアやビジョンを説明するためにさまざまな所へ人々を訪ねました。ロサンゼルス以外に住むみなさんは、博物館の重要性については同意してくださるのですが、場所がロサンゼルスとなると、「訪問する機会がないからね」と躊躇しておられました。しかし最後には、次世代へ継承するための重要な投資だと同意をいただくことができました。


―USJCを始めた理由を教えてください。

博物館での仕事の一つは日系人とその祖先の国である日本を繋げることでした。三世や四世の多くは、自分のルーツをあまり知りません。そこで、数名の仲間とともに、ロサンゼルスとサンフランシスコの日本国総領事を訪ね、「在米日系人リーダー訪日プログラム」を作ることを提案したのです。このプログラムは私がJANMのCEOを務めていた2000年に始まりました。
2008年は“ジャパン・パッシング”についての議論が盛んでした。日本への興味が薄れているのではないかという認識が強まっていたのです。しかし、私たちの多くはそうではないと信じていましたし、米日関係をサポートするための強力な基盤を作るために何かをしなければならないと考えました。私の夫のイノウエ上院議員も米日関係を心配していました。そこで、米日関係に強い関心を抱いている人々とともに、米日関係促進を唯一の目的とする組織を立ち上げることにしたのです。
こうして2008年末にUSJCが創立され、2009年に事務所が開設されました。USJCのミッションは、将来の米日関係の基礎を堅固なものにするために、人と人との強い繋がりを作り、日系人がより幅広い米日関係の構築のために参画するよう働きかけていくことです。



日系アメリカ人は多様なリーダーを日本に繋げることができる

―2011年3月11日、「在米日系人リーダー訪日プログラム」のため東京滞在中にアイリーンさんはじめ日系人リーダーたちは東日本大震災を経験しました。

訪日プログラムはほぼ終了し、翌日のフライトでアメリカに帰るところでした。USJCは直ちに行動し、全米各地から参加していた日系人リーダーたちは、メディアを通して地震の体験を発信しました。そして、USJCは東日本大震災後の復興に努める非営利団体を支援するための基金を立ち上げました。
ある日、ルース駐日アメリカ大使から電話があり、米日政府は官民連携で復興支援にあたることを発表したので、USJCにはアメリカ大使館と連携して活動に参画してほしいという依頼がありました。私たちは賛同し、TOMODACHIイニシアチブのプログラムを立ち上げました。名前は、アメリカ軍が展開したトモダチ作戦からとりました。
TOMODACHIイニシアチブはユニークな役割を果たしており、若者に焦点を当てています。日本の若者を支援するだけではなく日本とより深い関係を持つことをアメリカの若者にも奨励しています。


—最近、アジアの国々の関係は非常に緊張してきました。多くの日本人が米日関係の重要性を感じています。この状況のなかで日系アメリカ人の役割とは何でしょうか。

日系アメリカ人は、アジア系をはじめ多くのコミュニティーと緊密な関係を持っています。ですから、日本と他のアジア諸国との関係は、日系人のみならずアジア系アメリカ人に大きな影響を及ぼします。私は長年にわたり、米日関係の有識者の幅を多様化すべきだと日本政府やビジネス界に訴えてきました。従来、米日関係は、国会議員や官僚、シンクタンクの人々によって、ワシントンDCと東京との関係を中心に考えられてきたのです。
東日本大震災の結果、草の根レベルでの日本人との関係が緊密になりました。日系アメリカ人の役割は、アジア系アメリカ人を含む多様なリーダーを日本に繋げる手助けができることだと考えています。アメリカの人口動態をみてみますと、ヒスパニック系とアジア系の人口が急速に増加していることが分かります。USJCは、日系人だけでなく、ヒスパニック系、アフリカ系など他のアメリカ人にも参加してもらえるプログラムを実施していく予定です。今年の年末には新しいプログラムを開始したいと考えていますが、これはアジア系の州議会議員のグループの訪日プログラムで、詳細はまだ検討中です。
国と国との関係を築くためには、懸念や疑問を持ったときに電話できるような“ルート”を持つことが必要です。より広い分野のリーダーたちが互いにコミュニケーションをとれるルートの構築が必要です。



無私の心で人に尽くす

―ご主人のイノウエ上院議員から影響されたことは何ですか。

上院議員は、公務にすべてを捧げた人でした。彼が亡くなり、本当に多くの方々から「イノウエ上院議員に助けてもらった」という話を伺います。彼は誰かが助けを求めると、問題を解決するように必ずスタッフに指示を出していました。問題に小さいも大きいもなく、どのような依頼でも優先的に対応しました。選挙に選ばれたいからでも名声のためでもなく、人々のために尽くしたいと信じていたからでした。これがイノウエ上院議員の公務を行う姿勢でした。
1日に50以上することがあっても、誰かが訪ねてきたいと言えば時間を作ろうとしていました。私が「日曜日のTV討論会に出演したりメディアの取材を受けたらよいのでは」と提案すると、彼は「それは自分の性分に合わない」と答えていました。彼は多くのことを成し遂げましたが、人が見えないところで静かに行動していました。
彼をそばで見ていて、非常に多くのことを学びました。多くの方々から彼の功績がどんなにすばらしかったか今でも伺いますが、無私の心で他の人たちに尽くすことができるならば、私たちにもできることはたくさんあるのだと思います。

=Tomomi Kanemaru





「第14回在米日系人リーダー訪日プログラム」
国家及び地域社会レベルの米日関係を強固にする


1月24日と25日の二日間、日本の外務省が主催し、米日カウンシル(以下、USJC)がプログラムの計画と運営を行う「在米日系人リーダー訪日プログラム」のオリエンテーションがロサンゼルス市のリトル東京にて開かれ、同プログラム参加者である日系アメリカ人のリーダー10人が出席した。
2000年より開始された「在米日系人リーダー訪日プログラム」は年に一度開催され、14回目を迎えた今年は3月7日から15日にかけて行われる。

24日に行われた記者会見には、参加者全員と同プログラムに同行するアイリーン・ヒラノ・イノウエUSJC会長と新村出(いずる)在ロサンゼルス日本国領事も出席した。イノウエ会長は、全米各地から選抜された今回の参加者について「計画したわけではありませんが、各地域の政府機関で活躍されている方々が多く選ばれました。これは私たちが期待していた基準の一つでもあります。なぜなら地域レベルで米日関係を構築し続けること、及び米日関係に関わる知日家の強力なリーダーがいることを確実にするのは重要だと考えるからです」と述べた。

今年は4人の参加者が初めて訪日する。そのなかの一人、ワシントン州ベルビュー市シティ・マネージャー代行のブラッド・ミヤケ氏は、他の参加者と同様に家族の祖国である日本に対する興味に加え、「国家レベルは無論のこと、特に地域政府との文化的結びつきについて興味があります。また市の価値を向上させる取り組みについて学びたいです」と抱負を述べた。
参加者たちは、訪日中、USJCと国際交流基金日米センターが共催する福岡県でのシンポジウムに参加するほか、東京では日本の各分野で活躍するリーダーたちと意見交換をする予定。


=Tomomi Kanemaru

2014/02/08 掲載

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