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コラム

編集部
“日米の架け橋”功労者3人が「国際市民賞」を受賞

2014-07-12

 日米両国民の経済・文化・行政などの友好関係構築を目的に活動する非営利団体「南カリフォルニア日米協会(以下、JAS)」は、2014年の「国際市民賞」を東洋ゴム工業株式会社の北米タイヤ事業統括会社 Toyo Tire Holdings of Americas Inc. 社長・水谷友重氏と、日本政府の外国青年招致事業「JETプログラム」の英語教師助手だった故テイラー・アンダーソン氏と故モンゴメリ・ディクソン氏の3人に授与した。授与式は、6月17日、ビバリーヒルズにあるビバリーウィルシャーホテルで開催された「日米協会105周年ディナー&ガラ・セレブレーション」のなかで執り行われた。

日本企業活躍の礎を築いた日系先駆者に感謝

「国民市民賞」を受賞して挨拶をする水谷社長

 「国際市民賞」は、政府関係者、文化・スポーツ功労者、企業家などで日米関係に貢献した個人·団体に贈られる賞で、過去には豊田章一郎氏(現·トヨタ自動車株式会社名誉会長)や稲盛和夫氏(現·京セラ株式会社名誉会長)、中曽根康弘氏(第71~73代内閣総理大臣)などが受賞している。
 今回の受賞者の一人、水谷社長は、「日本企業がアメリカで事業を行う基盤を築いた日系アメリカ人の先駆者と日系コミュニティーに対して感謝の気持ちを常に持つこと」をモットーに、Nitto Tire U.S.A.Inc.社長就任以降、事業利益の還元として全米日系人博物館や日米協会への支援活動を行ってきた。また、日系アメリカ人のコミュニティー発展に貢献した人々の偉業を伝えるドキュメンタリーフィルムの制作、それらDVDの日系NPO機関や教育機関への寄贈など、積極的に Nitto Tire社独自のCSR(企業の社会的責任)活動を企画し展開してきた。長期間にわたるこれらの活動が評価され、今回の受賞となった。
 テリー・ハラJAS会長から記念のトロフィーを手渡された水谷社長は、「このような栄誉ある賞に恥ないよう今後もオリジナリティーを求め、北米における東洋ゴムグループの発展に貢献していきたいと思います。『米国で利益をあげた日系企業は社会に還元する』というアドバイスいただいた田中正明 三菱東京UFJ銀行 元米州支配人に感謝申し上げます」と謝辞を述べた。

(左から)ハラJAS会長、ケイコ・ブロッケル Nitto Tire U.S.A. Inc.社長、水谷Toyo Tire Holdings of Americas Inc. 社長、モンゴメリ日米協会105周年ディナー実行委員長

日米両国の人々をつなぐ

 今年の「国際市民賞」受賞者の二人目と三人目は、「JETプログラム」参加中に、東日本大震災の犠牲となったテイラーさんとモンゴメリさん。テイラーさんは宮城県石巻市で、モンゴメリさんは岩手県陸前高田市で、子供たちに英語指導をしながら、子供たちや地域の人々と積極的に交流を持ち慕われていた。しかし2011年3月11日の大地震の後、二人は教え子たちを保護者に引き渡し、避難する途中で津波に飲み込まれ命を落とした。
 テイラーさんとモンゴメリさんは、日本滞在中、日本文化を理解し日米両国の架け橋に尽力。アメリカを代表する永久文化大使にも任命された。授与式では、ハラJAS会長とダグラス・モンゴメリ日米協会105周年ディナー実行委員長から記念の盾が、テイラーさんとモンゴメリさんのそれぞれの遺族に手渡された。“日米の架け橋”としての活躍を夢に描いていたテイラーさんとモンゴメリさんの夢は、「テイラー・アンダーソン記念基金」「モンゴメリ・ディクソン記念プロジェクト」として、今も続けられている。
 2014年の「国際市民賞」受賞者3人の活動の形はそれぞれ違うが、日本とアメリカ両国を想う気持ちは同じだ。今後も、日米友好を深める活動が期待される。

モンゴメリさんに代わり記念の盾を受け取ったシェリー・フレドリックソンさん(中央)と弟のイアンさん(右から2人目)

テイラーさんに代わり記念の盾を受け取った父親のアンディ・アンダーソンさん(中央)とテイラーさん家族


ケイコ・ブロッケルNitto Tire U.S.A. Inc.社長
感謝の気持ちで日系アメリカ史を日米両国で普及する

 水谷社長がNitto Tire U.S.A. Inc.社長だった頃、私は6年間、水谷社長の元で働きました。社長をビジネスマンとしても人としても尊敬しています。
 水谷社長がアメリカに赴任した1990年初頭、Nitto Tireはブランド存続の危機で、今日までの道のりは決して簡単ではありませんでした。当時は利益がなく、備品さえもなかなか購入できない状態でした。
 その状況から経営を立て直すため、水谷社長は自らアメリカ50州全てをまわり、タイヤ店やホイールメーカーを訪ねて、お客様が何を必要としているかを調査しました。当時はGPSもメールも現代のように
なかったので、地図を片手に自分の足を使わなければなりませんでした。
 水谷社長のリーダーシップによって、Nitto Tireは斬新且つ美しいタイヤのトレッドデザインと他社にはないタイヤサイズを次々と市場に送り出し、車好きの間で圧倒的な人気ブランドへと発展しました。更にデジタルマーケティングの先駆者としてタイヤ業界だけでなく、自動車業界全体でもリーダーとして注目を集めています。Nitto TireのFacebookファン数は現在800万人で、これはトヨタやホンダを抜いて自動車業界では8位です。Auto Pacificの調査によるとブランド志向第2位となりました。
 水谷社長の情熱と粘り強さはCSRにも反映されています。社長は、日米両国で日系史を一人でも多くの方に知っていただくことに力を注いでいます。アメリカに移民された日系人の先駆者の方々が苦労と困難に耐えたお陰で、また日米協会の歴史的使命と支援のお陰で、Nitto Tireのような日本企業にもアメリカで成功するチャンスが与えられたのです。


アケミ・キクムラ・ヤノ前全米日系人博物館館長
「トモはこの世界をより良くするためにやってきた」

 トモと出会ったのは5年前の7月でした。私は当時、全米日系人博物館館長で、ある日系団体の式典で「民主主義と平等と自由のために戦った日系アメリカ人」をテーマに基調講演をしました。
 講演後、トモと彼の息子さんがアメリカを民主化に導いた日系一世と二世に対しての感謝の意を伝えてくれました。お二人ともコロラド州知事だったラルフ・カーに興味を持っていました。
 カー知事は第二次大戦中に日系人の憲法上の権利を擁護するただ一人の政治家でした。コロラド州への日系人受け入れを宣言した途端、大統領候補とまで言われたカー知事の支持率は下がりましたが、彼のスタンスは決して変りませんでした。
 しばらくして、トモがJANMを訪れ、「ラルフ・カーのような“知られざる勇気ある日系の物語”を一人でも多くの方に知ってもらいたい」と話してくれました。トモの息子さんは大学生でしたが、カー知事についてさらにリサーチを重ねていました。こうして「知られざる物語」が多くの人々に知られるようになったのです。
 日米関係をサポートし、知られざる日系の物語を保存して誰にでもアクセスできるようなコミュニティーの支援をしているトモは、「国際市民賞」受賞にふさわしいと思います。
 トモは寛大で絶え間ないエネルギーと創造力を備え、平等と社会的正義への決意を持っています。そんなトモは、この世界をより良くするために天使から遣わされたと何人もの人が言いますが、私も同感です。

ダグラス・G・アーバー南カリフォルニア日米協会プレジデント
「トモは『おもてなしの心』でアメリカ人ファンを獲得」

 トモは有能なビジネスマンですが、「おもてなしの心」を持ったすばらしいリーダーだと私は思います。また典型的な日本人の会社社長と違い、とてもきさくで、社員たちも緊張することなくトモとの会話を楽しんでいます。
 私は、トモがNitto Tireの社長だった頃、FacebookでNitto Tireが500万人のファンを獲得したことを祝うBBQランチに参加したのですが、トモはポロシャツにサンダルを履いていて、社員一人一人に声をかけて食事を勧めたり、食べ物を運んだりしていました。
 トモは、よく会社のロゴが入ったポロシャツを着ていましたが、その理由は誰からでも話しかけやすくしているのではないかなと、私は個人的に思っています。トモの性格もアメリカ人には非常に親しみやすいです。また彼は本当にいろいろな本を読んでいて、どんなトピックでも誰とでも深い会話ができます。普通では考えられないです。
 トモはビジネスマンですが、私には世界中のファンたちが欲しがっている物を提供する“最高のおもてなしをする人”に見えます。ファンが期待する以上の物を提供する、それがトモですね。そして、その姿勢はお客様だろうが、社員だろうが、友人だろうが変らないのです。トモは特別な人です。彼が南カリフォルニアにいてくれて、とてもラッキーだと感じています。

シェリー・フレドリックソンさんが語る 弟・モンゴメリさん
 弟のモンティは日米の架け橋となることに力を尽くしていたので、同じミッションを持つ日米協会から『国際市民賞』をモンティが受賞したことはとても嬉しいです。
 モンティは、日本に滞在していたのではなくて、日本に根付いて暮らしていました。これこそ両国の架け橋を体現していると思います。モンティは、「陸前高田で私は先生でもあり生徒でもあります。ここでの体験ほど素晴らしいことは他には考えられません」とエッセイに書いていました。モンティは、日本語、日本文化、友人、家族を学ぶ学生で、また陸前高田のみなさんはモンティを友人として家族の一員として迎えてくれました。私たち家族はこれからも陸前高田の方たちとの友好を大切にしていきます。

 ◆モンゴメリ・ディクソン記念プロジェクトは、子供たちに慕われた「モンティ先生」の遺志を継ぎ、アラスカ州立大学アンカレジ校およびその周辺地域における日本語教育・日本理解の促進、強化を図る5年間計画事業。

アンディ・アンダーソンさんが語る娘・テイラーさん
 テイラー・アンダーソン記念基金は、震災で被害にあい、立ち直ろうとしている学生や家族を支援することを目的に設立しました。これはテイラーが望んでいることだと思います。そして今年は6人の学生たちに奨学金を授与しました。
 テイラーが教えてくれたのは、毎日どのように生きるかということ。夢に向ってポジティブなエネルギーで粘り強く、勇気を持って、ハッピーに生きること。周りの人から学ぶこと。テイラーは自分のことより他の人のことを考えていました。ここにテイラーのスピリットがあります。彼女は「アメリカに戻ったら何らかの形で日米の架け橋となりたい」と言っていたので、私たちは基金を設立しました。そしてこれが私たちを新しい世界へとつなげてくれました。

 ◆テイラー・アンダーソン記念基金は、遺族がテイラーさんの夢だった「日米の架け橋になる」という遺志を継ぎ、石巻と東北地方の学生、学校、家族の復興援助・支援することを目的として設立された。

=Tomomi Kanemaru


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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