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第15回 ポエム・タウン
<成人の部 俳句 入賞作品>
嶋幸佑選 黄落や友の話の長きこと 野島弘子
佳作 寒椿白き重みに耐えて咲き 麻生三晴
佳作 秋の暮れ寡婦となりぬと友の文 石井志をん
佳作 不揃いの野菜のサイズ寄せ鍋に 浅子恵
日刊サン選 露天風呂冬を楽しむ親子猿 麻生三晴
TJSラジオ選 境内へ何故か汗だく秋高し 那智高雄
<日刊サン選 スポットライト俳句>
御手刈りの初穂供える新嘗祭 生地公男
天狗岩湯の香をあびる冬の町 鈴木ロジー
どの顔もふるさとの顔盆おどり 内アリス
三世がやうやく解る納豆汁 ローペス文子
カサカサと軽い音色に枯葉舞う ワーレス信子
降りしきる落葉を巻いて走る路 柳田煕彦
さんま焼く妻と重なる母の影 鈴木清司
ふち取りの薄墨色や冬夕焼け 塚本惠
神様の声を聞いてる耳袋 古賀由美子
ありがたき里帰りかな新酒かな 石井志をん
台風が来れば人間枯葉なみ 詩月直竹
渡り鳥参詣石段影落とし 那智高雄
選者のことば
―選者・嶋 幸佑
何度かお話ししてきたことだが、「俳句は季語を詠う詩」である。季語を生かすために措辞がある。季語と措辞が一句の中で響き合う。その響きが、読者の心に伝わってくるのだ。そうでないと、作者が何に感動したのかよく分からない。作者の姿が見えてこない。ただ何となく季節を示す言葉を持ってくればいいという話ではないのだ。
その意味で、「黄落や―」は、さり気なく詠まれた句のようだが、季語がたくみに生きており、作者がいる状景を容易に思い浮かべることができる。作者は暖かい部屋の中で友と話している。窓の外では、色付いた銀杏の葉が散っている。友の話を聞きながら、散り止まぬ銀杏の葉を何となく見ている作者。友の長話と相俟って、「まあ、よく散ること」と感心している作者である。
「寒椿―」は、白き重みという措辞で、早咲きの椿の凛とした姿が、そして同時に、その姿に感動した作者が見えてきた。
「秋の暮―」も、秋の夕暮れ特有の静寂な風情が、夫を亡くした友からの手紙に合っている。
「不揃い―」は、寄せ鍋の楽しさ、鍋を囲む賑やかさが、大きさがまちまちの野菜から感じられる。
感動を季語に託して素直に詠う。十七文字の醍醐味を、来年も味わっていきたい。
―選者・日刊サン
「露天風呂─」。冬はやはり寒いので猿(動物)も人と同じで温かい場所を求めて来るのでしょう。露天風呂に入っている猿のテレビを見たことがありますが、人間と変わりなく気持ち良さそうに入っていました。見ている私達までほっこりしてきます。この句はテレビで見た画面を思い出し、心が温かくなる句ではないかと思い選びました。
―選者・TJSラジオ
長く続く階段を登り、神社へと参拝に向かった思い出がよみがえりました。あまりの長さに歩を止め見上げたその視界に、紅葉と青空が入り、まさに“天高く燃ゆる秋”。きっと、誰でも経験があるであろうそんな1シーンを切り取った清々しい一句ですね。日頃の運動不足が「何故か汗だく」につながったのか。神社には何故か階段がつきものというのを読んだのか、どちらにしても、聖域である境内を訪れるためには、煩悩を断ち切る意味でも安安と入るよりはいいのかもしれませんね。