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南加鹿児島県人会創立120周年記念祝賀会   今日の活躍の場は先駆者のお陰

2019-08-24


功労者、高齢者、ゴルフ大会県知事杯などの受賞者らと三反園知事と宮内会長


 南カリフォルニアでの最古の県人会、南加鹿児島県人会が「創立120周年記念祝賀会」を、8月4日、モンテベロ市にて開催し、300人が出席した。日本からは三反園訓鹿児島県知事をはじめとする約60人の鹿児島県ゆかりの人々も出席し、盛大に催された。

 南加鹿児島県人会の始まりとなったのは、124年前にサンフランシスコを拠点に活動していた鹿児島県人会のロサンゼルス支部だった。1899年に支部が独立して南加鹿児島県人会が創立され、120年後の現在も、450家族がメンバーという規模の大きな県人会として活動が続いている。

 祝賀会は、桜色の桜島の風景を背に鬼心太鼓の激しい太鼓演奏で幕を開けた。最高齢の参加メンバーが国旗を掲揚すると出席者全員で先亡者へ黙祷を捧げた。

 会の進行役は“日系コミュニティの名司会”で知られる同県人会顧問の西タック武弘さんが務めた。

 同県人会第52代会長の宮内マーガレット昌子さんは「先駆者の方々は夢を実現するために、アメリカに移住してきました。当時は今日のように簡単ではなく、困難は計り知れなかったと思います。特に民族的なこと、文化の違い、経済的な困難があったと思います。仲間で互いに助け合い、さまざまな困難を通して、コミュニティを作り上げました。先駆者のみなさんが、今日の私たちが活躍できる場を築いてくださいました。

 みなさんが、今ここにいらっしゃるのは、県人会が存在しているからということを覚えておいてください。2世、3世、4世のみなさん、どうか伝統を忘れずにいてください。みなさんはとても誇りに思える伝統を引き継いでいることを忘れないでください」と挨拶した。また、鹿児島県からサンタローザに入植し、後に「ブドウ王」と呼ばれた長澤鼎氏や農業移民計画を実現させ「移民の父」と呼ばれた内田善一郎氏の功績についても触れ、先駆者らの功績を称えた。

宮内会長、千葉総領事、川田会頭、三反園知事、外薗議長、岩崎会頭らによる鏡割り


 乾杯の音頭は宮内武幸顧問がとり、同県人会がますます発展することを祈り、出席者全員で乾杯した。

 祝辞は、川田薫 南加日系商工会議所会頭、水谷ハッピー南加県人会協議会会長、横田捷宏 鹿児島“KIZUNA”プロジェクトin東京代表、岩崎芳太郎鹿児島県商工会議所会頭、外薗勝蔵 鹿児島県議会議長、三反園訓鹿児島県知事、千葉明在ロサンゼルス日本国総領事が述べた。

 三反園知事は「米国社会でさまざまな分野で活躍され、高い評価を得ておられますのは、ひとえに歴代の会長並びに役員のみなさまを中心に、会員のみなさまが一致団結し、不屈の精神で活動をされてきた賜物でありまして、深く敬意を表させていただきます。同じ鹿児島県人として、みなさまを心から誇りに思います」と述べ、次世代の鹿児島県との交流にも力を注ぐ同県人会に謝辞を述べた。

 祝賀会では幾つかの表彰も行われた。同県人会への功労者、小田和男さん(2015年〜18年県人会会長)に、三反園知事から賞状が手渡され、88歳以上の高齢者メンバーらにも賞状が贈られた。ゴルフ大会で総合優勝した別宮ひとみさんには県知事杯が授与された。続いて、山口弘鹿児島ファンデーション会長から高校卒業生に祝金が贈られ、会場から大きな拍手が湧いた。

 最後は竹嶺会による伴奏で全員で鹿児島小原節を踊り、今後の会と鹿児島県の発展を祈り、万歳三唱で締めくくった。


難民移民者ドキュメンタリー映画『夢は咲くDream Blossoms』

内田善一郎氏(『夢は咲く』より)
映画『夢は咲く 内田善一郎と難民移住者たちの60年』(日本語・英語字幕)
YouTubeにて無料公開中。
https://youtu.be/zMDHqaTVNLk 


 「移民の父」と呼ばれ、戦後、鹿児島県からの新移住者に渡米のきっかけを与えた内田善一郎氏についてのドキュメンタリー映画「夢は咲く」(新井淳蔵 監督)が、鹿児島ファンデーションのもと、テッド内田資金を獲得して制作された。

 鹿児島県いちき串木野市出身の内田氏は、1953年に鹿児島県を代表して国際農友会の派米農業実習生としてサンディエゴ郊外のチュラビスタの村岡農園で農業研修に参加した。

 この間に楫宿郡頴娃町出身の一世、鶴留重徳さんに出会った内田氏は、「このような先輩に続く鹿児島県人移民を実現したい」との夢が浮かんだそうだ。その後は中カリフォルニアに移り、鹿児島県出身の一世、西田慶治さんと出会い、集団移民の実現を決心した。

 鹿児島県に戻った内田氏は「現地の県人会などの協力を得て移民運動を起こし、若者は狭い国土にひしめいて生活するよりも移民としての夢にかけよう」と呼びかけた。

 しかし当時の米国は日本からの移民をほとんど受け付けておらず、内田氏は熟考した結果、台風の災害を受けた難民として「難民救済法」を適用し、米国へ移住できるように日米両政府に訴えた。

 1955年〜1956年に、内田氏の呼びかけに応じた鹿児島出身の333人は、アメリカの広大な土地での農業開拓を夢見て海を渡った。

 1959年には1100人の家族が「難民移民家族呼び寄せ」によって渡米した。



南加鹿児島県人会総会の写真=1908年7月5日(南加鹿児島県人会 創立120周年記念祝賀会プログラムより)

南加鹿児島県人会沿革(創立120周年記念祝賀会プログラムより抜粋、文責・鶴亀彰)

1880年 薩摩藩英国留学生、長澤鼎が欧州ならびニューヨークを経由し北加のサンタローザに入植。2千エーカーのブドウ畑を持ち、後に「ブドウ王」と呼ばれる。
1895年 サンフランシスコにあった鹿児島県人会がロサンゼルスに支部を設立。
1899年 支部が独立し、南加鹿児島県人会として正式にスタート。
1910年 9人の女性により鹿児島婦人会が発足し、「鹿児島婦人の友」を発行。
1941年 真珠湾攻撃により太平洋戦争勃発
1942年 自発的に県人会解散。預金は国防費に献納。多くの県人が収容所で生活する。
1947年 鹿児島クラブとして再発足
1950年 南加鹿児島県人会と改称
1957年 鹿児島婦人会が南加鹿児島県人会と合併
1953年 内田善一郎が鹿児島をはじめ、日本中からの農業移民実現を計画する。1955年と1956年の2年間に鹿児島県から333人の若者が渡米。
1959年 鹿児島県より1100人が難民移民家族呼び寄せで渡米。
1983年 鹿児島青壮年部、鹿児島ジュニアクラブが発足。
1991年 南カリフォルニア奄美会が発足。
1999年 南加鹿児島県人会創立100周年祝賀会が開催され、750人が参加。
2006年 鹿児島県先亡者慰霊碑をエバーグリーン墓地に設立。鹿児島ファンデーションがNPO団体の認可を獲得。
2009年 南加鹿児島県人会創立110周年、南加鹿児島婦人会創立100周年の祝賀会を開催。
2014年 南加鹿児島県人会創立115周年祝賀会を開催。
2019年 南加鹿児島県人会創立120周年祝賀会を開催。




=写真・冨山敏正、文・金丸智美


 
 



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