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ローカルニュース

JSPACC20周年記念イベント 3日連続特別インタビュー 後編 「MiracleKids Festival」

2014-02-21

独りじゃない、 いっぱいいるよ
 障がいを持つ子供を育てる親のサポートグループJSPACC(Japanese Speaking Parents Association of Children with Challenges、通称:手をつなぐ親の会)が、創立20周年を迎え、記念イベント「MiracleKids Festival」を3月2日に開催する。イベントに先駆けた特別インタビューの最後は、JSPACC創立メンバーの一人、馬上真理子さん。会設立のきっかけを聞いた。
ノイローゼ、パニック悩んだ日々
 1987年に私たち夫婦に初めての子供が生まれました。障がいを持っているかどうか正式な診断は数年後ですが、まずは生後3日で、娘の心臓に複雑な疾患があるのが分かり、私はそのショックで母乳が出ませんでした。一番大事なときにフォーミュラ(母乳ではないミルク)で育てるしかなかったので、精神的に不安定でした。
 最初の頃、育児書を読みながら、生後3ヶ月の赤ちゃんはこれが出来るはずなのに私の子供は出来ないなどとノイローゼになりそうでした。今は笑い話ですが、霊感商法などから高額な“おふだ”のような物を買って、あちらこちらに貼りました。帰宅した主人がそれを見て「これは大変だ。心配なのはベイビーではなく、自分の奥さんだ!」って思ったそうです(笑)。
 そこで主人は、リトル東京サービスセンターのソーシャルワーカーの坂本安子さんに連絡しました。坂本さんは自宅に来てくださり、私の心配を聞いてくれました。けれど私は「なぜ、私なの?そんなわけはない。なんなのこれは?」といった状態で、“普通”ではありませんでした。
 カリフォルニア州のリジョナルセンターという発達障害の人たちをサポートする公的機関がありますが、私も主人も日本人ということもあって、よく理解できていませんでした。当時は主人の勤めもあったので、「日本に帰ってもどうにかなるわけでもない」と、アメリカにいる選択をしました。
 娘は生後7ヶ月でバイパスの手術をして、まだ一人では歩けない3歳のときに、開心手術をしました。心臓のこともあるので、毎日必死でやるしかないと思いました。その頃、娘の反応があまりにも遅かったので、もしかしたら耳が聞こえないかもしれないと、パニックになってしまいました。
 自殺も考えましたね。けれど主人がどれだけ悲しむか、母を亡くした父がどんなに悲しむかと考えました。そこまでは冷静に考えられた。やはり自殺はできないなって。でもきついなって。すごい悩みました。
 娘はリジョナルセンターからサービスを受けて、公的なお金で「発達に遅れがある3歳未満児のための早期介入教育センター」に通い始めました。正確な診断である、染色体4番に起因する障がいを持つことが分かるのはまだ先のことだったのですが、この時点ですでに発達が遅れていたのでサービスを受けることができたのです。実際、はっきりした診断が出たときには逆にホッとしたことをよく覚えています。何もわからない状態でいるときの方が不安だらけでしたから。
 リジョナルセンターでは家族をサポートするグループミーティングがよく開かれていたのでなるべく参加していました。もちろん英語ですが、少しでも勉強して知識を得ようと思ったのです。不安のままずーっと生活していて心細かったんですね。
 ちょうどその頃、私が住む地区でカリフォルニア発達障害評議会主催のアドボカシートレーニング「Partners in Policy Making」が開催されました。発達障害の子供を持つ親や発達障害を持つ成人した本人たち40人が参加して、法律を作る議員たちとパートナーになって、発達障害のサービスにおけるポリシーを作るために、個人的なロビイストになるトレーニングでした。
 これは毎年開かれますが、州内13地区を巡回するので、各地区とも13年に一度だけ順番が回ってきます。約10ヶ月間、月に一回一泊二日のペースで行われ、費用はすべて州が払います。娘がサービスを受けていたリジョナルセンターのパトリシア・へレーラさんが、そのトレーニングに参加できるよう私を推薦してくれました。
マイノリティーの代弁者になる
トレーニングが終了すると、参加者はそれぞれ学んだことをいかして、さまざまな活動を始めました。私は日本人コミュニティーに戻り、他の親たちと何かを始めたいと思いました。そこで、障がい児教育教師であったグローリア斉藤さんが主宰していた小さなサポートグループに連絡しました。親が中心となって定例会開催や会則作成、ニュースレター発行など正式な会を立ち上げたいと提案したら、「よし、やろう」となり、私が一番若かったこともあり、JSPACCの初代会長になりました。
 JSPACCの創立メンバーは他にもいますが、今も残っているのは私を入れて4人だけです。設立前からの経緯をすべて一番知っているのは溝越常夫&恵子夫妻。設立当初、初対面にもかかわらず私の話を聞いて「わかった、あなたに協力するわ」と副会長を快諾してくれた美智子ウィルキンスさん。そしてリトル東京サービスセンター前代表のビル・ワタナベさんは創立者ではありませんが、20年間ずっと見守ってくださいました。
 JSPACCの活動が始まると、必死な声の親御さんから多くの電話をもらうようになりました。話をするうちに、お母さんたちが少しずつ明るくなっていくのは私にとってすごい喜びでした。娘に障がいがあると分かったとき、特に最初、私は本当に辛かった。だから誰かの相談にのって、その人が少しでも元気になったらと思いました。「なんかすごく心が軽くなりました。心強くなりました」と言われることは私への嬉しい大きな報酬でした。
 親への教育はとても大事です。JSPACCの使命は、親への教育、社会的支援、そして州におけるマイノリティーとしての日本人コミュニティーの代弁者が3つの大きな柱です。マイノリティーのなかのさらにマイノリティーとして日本語を話す障がい者の家族は、カリフォルニア州でもいろいろな意味で優遇されていません。それに対して声を上げることで、少しでも是正していく必要があります。そんな意味での代弁者です。
 例えば州の公的レターには複数の言語での翻訳が義務付けられていますが、日本語はありません。州内の日本語人口が他と比べて少ないからです。けれど現実には多くの日本語障がいの家族が生活しているし、英語ができない家族もたくさんいます。だから声を上げることで「ここに、サポートが必要な日本人がいたんだね」って行政も気付いてくれます。=Tomomi Kanemaru
JAPACC20周年記念イベント
「MiracleKids Festival」
日時:3月2日(日) 4:00pm開演
場所:El Camino College Marsee Auditorium
16007 Crenshaw Blvd. T
orrance, CA 90506
チケット:10ドル(寄付歓迎)
問い合せ:吉山るり子 626-272-2154
磯崎葉子  310-259-0761
Eメールアドレス:
miraclekidsfestival@gmail.com
ホームページ:http://www.jspacc.org/



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