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ローカルニュース

米国書道研究会創立50周年記念 特別インタビュー①

2015-10-08

書家 生田 博子
書道で「丁寧に書く」ことを学ぶ


 アメリカで日本の書道をアメリカ人に指導してきた米国書道研究会が、今年、創立50周年を迎えた。同研究会の創始者である日蓮宗僧侶、生田観周氏が2007年に遷化(せんげ)すると、観周氏の妻で書家の生田博子氏が米国書道研究会会長に就任し、門下生を牽引してきた。創立50周年を記念して、博子会長にインタビューした。

夫の赴任先アメリカで始まる
 
 終戦から7年後、日本がアメリカにまだ占領されていた1952年の2月に、夫の観周先生(写真)は、ワシントン州シアトル日蓮仏教会第七世開教師として渡米しました。そして半年後に、私も生まれたばかりの子供を連れてシアトルへ行きました。婚約当時、観周先生は「僧侶にはならない」と言っていましたが、大学の先生から「アメリカで勉強できるチャンスがある」とアメリカでの開教師を勧められて、本来、学者肌の観周先生は開教師の道を選びました。当時、観周先生はやる気満々の27歳の活動家で、私はおてんばのところもある24歳でした。
 渡米すると、アメリカで暮らしていた日系人の方たちから、書道、華道、茶道を習いたいという要望があり、まずは観周先生が書道を、私が茶道を教え始めました。このような文化活動は、布教活動の一部でもあり、みなさん、喜びを感じて集まってきてくださいました。私の親が戦中に、「財産などあってもなくなってしまうけれど、体に何かを身につけておけば、役に立つこともあるかもしれない」と、いつも言っていたのを思い出します。
 7年後、ロサンゼルスへと布教活動の場を移し、ガーデナ市を拠点としました。書道教室は「生田書道会」という名称を1965年に「米国書道研究会」と改めました。私は「アメリカだなんて大きすぎるわ」と理事に申し上げたのを覚えています。
 ガーデナ市で書道の指導を始めると、燎原の火のごとくロングビーチ、ウェストロサンゼルス、リトル東京、オックスナード、サウスコーストプラザなど12、13カ所の教室を開くほどになりました。私と観周先生とで手分けして、観周先生は漢字、私がかなを教えて、一日、3、4カ所を回りました。あまりの忙しさに、子どもたちには申し訳ないと思っています。みんな大病もせずに、ご加護をいただきました。

国井誠海先生との出会い

 1970年に、書家の鈴木翠軒先生の高弟である国井誠海先生がニューヨークで書展をされました。それからロサンゼルスへ移られて、リトル東京のホテルで自炊をされながら個展を開いていました。ある時、国井先生が羅府新報の記者に、「ロサンゼルスで書道をしている人は誰か」と尋ねられたそうです。国井先生にご縁があって、観周先生と私は国井先生に師事しました。
 1984年に国井先生は「産経国際書会」設立に尽力し、観周先生も創立メンバーとなりました。国井先生は米国書道研究会のことを真剣に守り立ててくださっていたので、米国書道研究会から100点ほどの作品を産経国際書展に毎年出品するようになりました。一つの団体から100点もの作品を出すところはないですね。ある式典で、高円宮様から「アメリカから発信してください」というお言葉をいただいたことを覚えています。
 国井先生のところへ最後にお邪魔した時、先生は私にいつものように「持ってきたか?」とおっしゃいました。先生は必ず「作品を持ってきたか?」とおっしゃったので、私はどんな時でも作品を持っていきました。その日も「持ってきました」と申し上げて、作品をお見せしました。当時の国井先生は、意識がしっかりしない時もありましたが、私の作品をご覧になると目がギョロっと開いて、「ここだけは自分は好きじゃない…まあ、いいだろう」とおっしゃいました。国井先生は絶対に褒めなかったのですけれど、その時は「まあ、いいだろう」っておっしゃってくださいました。観周先生が遷化したのが2007年、そして、国井先生が亡くなられたのが2009年。あれ以来、もう誰も何も私の作品について言ってくる人はいません。あの時から始まったのだと思います。それから、私も少し変ったと思います。

生田博子「色ふかき 備前の 壷を 据えて想う 垣の夕顔 野のからす瓜」
国井誠海先生が「まあ、いいだろう」と初めて言った作品

書道はフィーリング

 書道から「丁寧に書く」ということを習います。例え下手だとしても、丁寧に書いてあれば、ありがたいですし、人の心を打ちます。自分の字を「下手だな」と思ったとしても、丁寧に書いた字というのは分かりますよ。それが大事です。
 ある時、私は、書道のデモンストレーションで「飛」という字を書いてアメリカ人の観客に見せたことがありました。「この字を読めますか?」と皆さんに尋ねたら、「読めません」と笑っていましたが、ある人が「飛ぶじゃないでしょうか?」と答えました。飛んでいるように見えたそうです。フィーリングですね。書く人の気持が伝われば、しめたものです。だから字によって表現の仕方が違います。豪快な字、優しい字、雅な字、悲しい字、感情表現が字に表れれば、どこの国の人にも気持ちが通じれば、それこそ言葉の限界はないわけです。
(明日10月10日付け号に続く)

=T. Kanemaru



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