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特集記事



JANMへ行こう!! vol.67 - 日系一世たちのスピリット・困難を伝えたい


今月のガイド
カンジ・サハラ さん

日系一世。エンジニアの職をリタイヤした後、さまざまな団体でボランティアを始める。日系史と公民権運動に関心を持ち、JANMでのボランティア、Japanese American Citizens Leagueメンバー、マンザナ収容所コミティメンバー、ツナ・キャニオン勾留所やオレンジ郡ウィンターバーグの日系人に関係する場所の保護に力を入れる。




移民・帰化法に順応する



1903年、シアトルに到着した外国人リストに父方の祖父、キタロウ・タツミの名前がありました。祖父は妻子を日本に残したまま渡米して、カリフォルニア州の農場で働きました。1908年には日米間で紳士協定が結ばれ、日本人の移民が制限されてアメリカに既に住んでいる日本人、またはアメリカに既に住んでいる家族を持つ日本人の渡航が許可されました。
祖父は紳士協定をうまく使って、日本にいた息子たちをアメリカへ呼び寄せました。息子たちが独り立ちするようになると、祖父は日本へ帰国して隠居しました。

1920年のサハラさんの両親。父・ショウサクさん(左)とアヤコさん。サハラさんは家族と一緒に家族史をまとめ、小冊子「Shosaku and Ayako Sahara」を2000年末に完成させた。この写真は、その小冊子に掲載されている
当時盛んだった「写真花嫁」が日本政府によって禁止された1920年、父は結婚のために日本へ帰国して母と結婚し、母を伴ってアメリカへ戻ってきました。叔父が結婚した1924年までには再び移民法が改正されたため、日本人の女性は渡米できませんでした。そこで祖父は、アメリカ国籍を持つ女性(帰米二世)を日本で探して叔父と結婚させたそうです。アメリカ政府は法律を頻繁に改正したので、その度に日系人たちは法律を上手く使いながらアメリカで暮らしました。
1930年代に入り、母は病気になった祖父の面倒を見るために日本へ一時帰国することになりました。ちょうど母は私を身ごもっていたので、ドクターは、母が妊娠中であること、日本滞在中に生まれた子供(私)はアメリカに入国できることと書いた手紙を母に渡しました。
1924年に「1924年移民法(通称・排日移民法)」が施行されて、「帰化不能外国人の移民」が全面禁止となり、帰化不能外国人だった日本人移民も禁止になりました。ドクターの手紙がなければ、私はアメリカに戻ってこれませんでした。3人の姉たちも母と一緒に訪日しましたが、姉たちはアメリカ生まれのアメリカ国籍で、広島県能見島生まれの私と違い、渡米は問題ありませんでした。
私がアメリカ国籍を取得したのは1952年、18歳の時でした。1952年に移民・帰化法が改正されるまで、アジア人はアメリカ国民になることができませんでした。私はエンジニアが大学で専門だったので、アメリカ国籍を取得したことで、秘密取扱許可を政府から与えられ、その分野の職に就けるようになりました。


差別が当たり前だった時代



第二次世界大戦前、私たち家族は、現在のコリアタウン、当時は上町(アップタウン)と呼ばれていた場所で暮らしていました。この頃、日系人が暮らせた地域は、ソーテル、イーストロサンゼルス、日本町(リトル東京)、上町など限られた場所だけでした。
私の家があったブロック半分には日系人が住み、残り半分は白人地域でした。一緒に遊んだのは日系人だけで、半分向こうの場所に誰が住んでいたかさえ知りませんでした。これは「人種制限約款(Racial Restrictive Covenants」といって1940年はロサンゼルスの80%の地域が、人種によって区分けされていて、日系人が住めたのは20%の土地のみでした。
エルモンテの公立のスイミングプールは水を毎月一度だけ新しく入れ替えたのですが、日系人が使用を許可されたのは、水を取り替える日の前日のみでした。また海水浴場も人種によって分けされていて、日系人はブライトンビーチの使用が許可されていました。

1941年に第二次世界大戦が始り、1942年にルーズベルト大統領が「大統領令9066号」を発令して、アメリカ政府は西海岸に住む日系人たちの立ち退きを決定し、強制収容を実行しました。
収容は地区ごとに行われ、私たち上町の住人は教会の前で一斉に10台くらいのバスに乗り、アッセンブリーセンターとなったサンタアニータ競馬場へ連れて行かれました。競馬場でも、ある一角に上町の住人はまとめて入るようになっていました。

1942年の春から秋にかけて、収容所への移動が始まりました。上町の住人の半分がアリゾナ州ヒラリバーへ、私の家族を含む残り半分はアーカンソー州ジェロームへ送られました。
私は上町の住人たちと一緒にブロック19で生活を始めました。ある時、空いたバラックにハワイからの日系人家族が入ってきました。ハワイでは真珠湾攻撃の後、日系リーダーだった一世たちはアメリカ本土の拘置所へ送られ、二世のリーダーはFBIに逮捕されてハワイの収容所へ送られました。残された一世の家族の中で希望者があれば、家族はジェロームの収容所へ送られました。
彼らはピジョンイングリッシュという特異なアクセントのある英語を話し、冬の寒い中でもパジャマのような薄い服を着てパンツを履いていました。ハワイの日系人は、言葉の違いから本土の日系人に差別されていたようです。

1944年、ジェロームが他の用途に使用されるため私たちは再び移動を命じられました。空きのある収容所へ送られたので、上町の住人は離ればなれになりました。私の家族はアーカンソー州ローワーへ移され、ロサンゼルスのダウンタウンの住人が住むブロックへ入れられました。


不条理な法に挑戦する



法律が改正される度に日系人は順応し、大統領命令が発令されると従い、政府の都合で居場所も転々とさせられ、私たち日系人は“取るに足らない人間(small potatoes)”と扱われてきました。

私が「1913年制定のカリフォルニア州における外国人土地法」の目的が、日系一世たちを苦しめて日本へ追い帰すことだと知ったのは10年前のことでした。なんてひどいんだと思いました。一世たちはどれほど苦しんだだろうかと、一世のことを思いました。
戦時中の強制収容は誤りだったとアメリカ政府に認めさせたのも、日系人に不公平な法律を撤廃させたのも、一世たちが自ら法を犯し、裁判へ持ち込み、不条理な法律に立ち向かったからです。
日系史は大切です。若い世代には、ぜひ、一世たちのスピリットや困難、歴史、全てを知ってもらいたいと思っています。


文・構成 Tomomi Kanemaru(日刊サン)


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JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

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