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特集記事



JANMへ行こう!! vol.66 - 日系史を子どもたちに引き継ぎたい


今月のガイド
ジャネット・オオニシ さん

日系三世。アイダホ州ミネドカ強制収容所生まれ。ライブラリアンを退職した後、JANMボランティアとなる。今年は、Carifolnia Legacy Voice Networkのメンバーとして家族史を発表した。両親の結婚写真(右)は宮武東洋さんが撮影した




気持ちを話せない日本人



オオニシさんの二人の息子さんがレポートしたオオニシさんの両親の体験談。ディーンさんは収容所のバラックも作り賞を受賞した
2010年の母の日を記念して、母の伝記を本にして母にプレゼントしました。写真は母のアルバムからのものです。私はいつも私たちのストーリーを子供たちにも引き継ぎたいと思っていたので、自分の息子二人には、学校の社会科のプロジェクトがある度に、「おじいちゃんとおばあちゃんの話を聞いてレポートを書きなさい」と言いました。私の両親は道をはさんだ所に住んでいて子供の面倒もみてもらったので、子供たちと過ごす時間がありました。
上の子供は8年でレポートを書き、下の子供は5年でレポートを書いて大学時代には日系人強制収容所について祖父母にインタビューして録画をしました。息子たちには、昔に起きたことと家族史を自覚してもらいたかったので、興味を持ってもらえて良かったです。

他には、両親が手書きで書いた自叙伝や大学生が収容所について父にインタビューしたレポートがあります。私は父の本をまだ作っていないので、これから作ろうと思います。
母に話を聞いた時、何が難しかったというと母があの頃に何を感じていたかを、なかなか話してくれなかったことです。起きたことの羅列ばかりで、母の気持ちを引き出すのに苦労しました。「お母さんは何を感じていたの?」と私が尋ねると、少しずつ話してくれるようになって…母は泣きだしてしまいました。収容所に送られた日系人たちも同じように、なかなか気持ちを話しません。こちらから引っ張り出さないと気持ちを話してくれません。私には分かりませんが、これが日本人なのでしょうか?これは、日本人の気質なのでしょうか?


両親の歴史



戦後約55年経った2000年にTOYO MIYATAKE STUDIOで撮影した家族写真
私の曾祖父が亡くなったので、曾祖母が寂しがるだろうと、母と伯母が曾祖母の元に残されました。母が18ヶ月の頃の話です。そして祖父母の友人がアメリカから日本を訪問するというので、12歳の母と16歳の伯母をアメリカに連れて戻ってきたそうです。母は8人兄弟ですが、叔母たちによると「姉たちがアメリカに戻ってくるまで、二人の姉が日本にいたとは知らなかった」そうです。
アメリカに戻った母は学校へ行くことになりましたが、英語を話さなかったので、12歳にもかかわらず幼稚園に入れられました。英語が上達するたびにスキップをして学校を卒業して、バイリンガルになりました。一方、伯母は日本で高校を卒業したので、アメリカでは学校へ行かず、日本語を母国語として暮らしました。祖父母は生鮮食料品を販売するマーケットを経営していたので、母はそこで働きました。

マンザナの収容所内でお正月の準備をする風景。写真家の宮武 東洋さんが撮影。オオニシさんの伯母(右)が写っている
父方の祖父母はワシントン州の農場で働いていましたが、祖父は早くに亡くなり、祖母が女手一つで4人の子供を育てました。長男の名前で土地を購入して、父と叔父の二人を大学に行かせました。強制収容所から解放されて戻る日の3日前に家が放火されてしまったのですが、収容所に行く前に祖母は貯めたお金をメタルの缶に入れて家の下に埋めていたので、そのお金で家を建て直し、私の両親がロサンゼルスで生鮮食料品のマーケットを出す資金まで貸してくれたそうです。祖母は遠く住んでいたので話をすることがありませんでした。あの時代、どうやってシングルマザーが子供を育てながら生き抜いたのか、祖母の話を聞いておけばよかったです。
私の孫たちは日系史にとても興味を持っていて私の話を聞きます。よくJANMにも来ますし、質問もしてきます。今はひ孫もいるので、ひ孫が成長したら私が話をしてあげたいと思っています。孫と日系史について話せるのはとても嬉しいですが、もっと前からすれば良かったという気持ちもあります。私の子供は全く関心を持ってはくれませんね。けれど私たちのせいです。私たちが自分の子どもに話さなかったから。


JANMの素晴らしさ



私は1945年8月にミネドカの強制収容所で生まれました。収容所で生まれたことを知らなかったという日系人がいると聞きます。また収容所で生まれたことを恥だと感じている人もいるそうですが、私の両親は私がどこで生まれたのかを話してくれましたし、恥とも思いません。両親の話を聞いて、両親の弾力性と回復力は本当にすごいと、私は感動します。

JANMのボランティアは、日系人のストーリーを継続しなくてはならない、失ってはならないと強く思っています。私はアメリカ史の中での日系史を多くの人に伝えたいです。まだまだたくさんの人が知りません。もう二度と日系人が体験したようなことが起きてほしくありません。私たちの子供たちにも知ってもらいたいですし、家族史にも興味を持ってもらいたいです。そうすれば「自分は誰か」が分かります。どこから来たのかを知ることは大切です。
来館した学生が何を学んだのかは、何年も経たないと分かりませんが、私がガイドとして学生に話すことは「多くの人がさまざまな国からアメリカにきているので、それぞれに異なる歴史を持っています。なぜアメリカに来たのか、来た時に何があったのかを帰宅したら家族に聞きましょう」です。日系史だけでなく、彼ら自身の歴史も知ってもらいたいです。
JANMのミッションは素晴らしいと思います。オリジナルのドキュメントから学べて、経験者から直接に話を聞くことができる。本当にすごいことですよ。


写真・文・構成 Tomomi Kanemaru(日刊サン)


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JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!

入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

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