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特集記事



JANMへ行こう!! vol.59 - ターミナルアイランダーが語る今はなき古里①


今月のガイド
山本・健次・登 さん

98 歳、日系二世の山本健次さん(左)と妻で帰米二世の英子さん。二人ともターミナルアイランド出身。ターミナルアイランドに日系人の記念碑を建てるプロジェクトに尽力し、2002年に碑は完成。元住民たちで作った会「ターミナルアイランダーズ」の会員。




日米両国で漁師



第二次世界大戦前のターミナルアイランド。手前の「N.SHOJI」の左隣が「ムラカミ マーケット」。この二階で、山本さんは姉家族と共に食事をした。戦争が始まり、住民たちの強制立ち退きが完了すると、日系人たちが暮らした町は、ブルドーザーで壊されて平地となった。所有していた小型船は軍に没収された。住民たちは戻る場所も仕事も失った
両親は和歌山県西牟婁郡すさみ町江住の出身で、父は漁師でした。20世紀初頭、江須ノ川漁港の漁師たちがハワイへ集団移民することになり、父は母と姉を残して移民グループに加わりました。それからハワイ—シアトル—グアダルーペで仕事をしながら、漁師仲間たちと共に転々としました。

グアダルーペには父たちと同郷の南弥右衛門さんが大農場で成功していて、「レタス王」と呼ばれていました。父たちは南さんのレタス農場でしばらく働きましたが畑仕事は合わなかったらしく、漁ができるモントレーへと再び移動しました。そこでイーストサンペドロ(埋め立て地・ターミナルアイランドの東側地区)に缶詰や漁師の仕事があると知り、さらに南下しました。

母はシアトル在住時に日本から呼び寄せられて、イーストサンペドロに移ると兄を出産しました。しかし兄は11ヶ月で亡くなってしまい、悲しみにくれた母を慰めるために、1917年、日本に残された姉が呼び寄せられました。

 同年、私が生まれましたが、私も小さい頃は病弱で、伯母が心配して「健康に育ちますように」という願いを込めて「健次」というミドルネームをつけてくれました。以来、私の本名は「登」ですが「健次」と呼ばれています。



島での暮らし



写真上・第二次世界大戦前にターミナルアイランドにあったフランコ・イタリアン缶詰工場。多くの女性たちが働いた
第二次世界大戦前のイーストサンペドロは漁師町として栄え、約3000人の日系人が暮らしていました。シーコース、ヴァン・キャンプ・シーフード(現在のChicken of the Sea)、スターキスト、フランコ・イタリアン、インターナショナルという複数の缶詰工場が、ツナストリートの東西にありました。工場では日系人、チェコスロバキア人、イタリア人、ギリシャ人などさまざまな人種が働きました。

工場近くには工場主が建てた長屋があり、日系人たちはそこで暮らしたので、船が沖から戻ると、すぐに工場へ行けて便利でした。他の人たちはサンペドロに住んでいたので、毎日フェリーで通勤していました。白人の工場主は、私たち、子供たちをかわいがってくれて、缶詰を開けてツナをくれたこともありましたよ

漁師たちは、白人オーナーの大型船でカタリーナアイランド沖に出かけてイワシ、サバ、アジ、カツオなどを獲っていました。父は“ケンケンボート”と呼ばれる小型船を持っていて、個人で漁に出ました。私もよく父についていきましたよ。獲れた魚は、通称「インタ」と呼ばれたインターナショナル缶詰工場へ運びました。


写真左・ターミナルアイランドで暮らす日系二世たち。山本さんは、左から二人目

二世が増えたのでターミナルアイランドにも小学校が建設されました。ミルドレッド・ワリザー小学校です。白人の校長先生、ミセス・ワリザーはとても親日家で優しかったので、日系一世(当時は日本人)の親たちはとても感謝して、お礼に日本旅行をミセス・ワリザーにプレゼントしました。旅費4000ドルは、親たち一人一人が出し合いました。生徒は日系人ばかりでしたが、先生はほとんどが白人の先生で、一人だけ中国系の先生がいました。

(つづく)


インタビューでは山本健次さんのご家族(秀子さん、ティムさん、智子さん)にご協力をいただきました。ありがとうございました。写真は山本さん家族からのご提供です。
写真・文・構成 Tomomi Kanemaru(日刊サン)


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JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

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