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特集記事



JANMへ行こう!! vol.55 - 元442日系兵士の未亡人が語る「夫は私の誇りです」


今月のガイド
リンダ・フジオカ さん

日系二世。モンテベロ生まれ。46 歳で大学に入学し、50 歳で 教員免許を取得。現在も教師活動を継続中。二人の息子さんは、 ロサンゼルス郡最高裁判所判事のフレッド・J・フジオカさん と元ロサンゼルス郡CEOのウィリアム(ビル)・フジオカさん。



― フジオカさんのご家族についてお聞かせください。

ビルさん(右から3人目)はロサンゼルス郡CEOを引退するにあたり表彰された。フレッドさん(左から2人目)も同席した。リンダさんによるとビルさんは若い頃はかなりの“やんちゃ坊主”だったそうだ。明るい性格とリーダーシップは義父似という
父は岡山県出身で、メキシコの鉱山で働いていましたが、「これは長くできない」と思い、一緒に働いていた人たちと徒歩でカリフォルニアに移ってきました。そこでホテルを購入して経営しましたが、世界恐慌になりホテルを売って農業を始めました。

母は岡山の裕福な酒屋の出身で、早くに祖母が亡くなったので曾祖母にあまやかされて育ちました。大きくなると、先に渡米していた祖父に呼び寄せられました。母はキレイでダンスも歌も琴も上手で社交的でしたが、15歳も年上のホテル経営者の父と結婚させられました。父も母にはとてもあまくて、家事などは私の姉たちがやっていました。


— 第二次世界大戦が始まるとフジオカさんは、マサチューセッツに移動したそうですね。

長兄はひよこの性別を見分ける仕事を東海岸でしていて、お給料が良かったので、マサチューセッツに農場を買いました。真珠湾攻撃の翌年、ルーズベルト大統領が「大統領令9066号」を発令して西海岸の日系人たちの強制収容の日が迫ってきました。当時はまだ日本人は州外に移れなかったので(後に日本人でも身元引き受け人がいれば州外へ移れることになった)、アメリカ市民の私たち姉妹3人だけが身元引き受け人の兄の元へカリフォルニアから移ることになり、両親と幼かった一番下の妹はワイオミング州ハートマウンテンの収容所へ送られました。

私はまだ13歳で泣いてばかりでしたけど、兄の住む街に着くとみなさんがとても良い方たちで生活を楽しむようになりました。兄が経営するリンゴ農園が戦時中は人手不足だったので収穫時になると地元の中学生が手伝いにやってきたり、収穫が終わると兄のトラックにみんなで乗って歌を歌いながら町中をドライブしたりと楽しい思い出です。ある時は、ウースターテレグラムという新聞社が、兄の農場と私たち家族について記事を書きました。白人の記者がよく兄を尋ねてきたので一緒に食事をしたりしました。そのうちに彼の息子さんと私の姉はデートをするようになりました。もう一人の姉は結婚しました。他の日系人は収容所に入れられたのに、私たちは本当にラッキーでした。

1946年には両親と妹も収容所から解放されて兄の元へ来ましたが、すぐにカリフォルニアへ戻りました。モンテベロの家は、戦時中も両親の友人が管理してくれていたので、私たちには戻る場所がありました。私はモンテベロ高校に通い、卒業後は専門学校へ行き、印刷所に就職しました。マサチューセッツでは友人はみんな白人だったので、カリフォルニアでは日系人の友人がほしいなと思い、知人を頼って、リトル東京にあった「Go For Broke Foundation Veterans Group」を訪ねました。そこで夫と出会い、22歳の時に結婚しました。


― ご主人はどんな方でしたか。

442所属の時のリンダさんの夫、ウィリアム・フジオカさん
夫はとても裕福な家の出身で、あまやかされて育ちました。義父はビジネスで大成功した日系コミュニティの名士でコミュニティ発展に貢献しました。そのため真珠湾攻撃直後には逮捕されてしまいました。義母は、その晩、義父が1920年代に日本の皇太子(昭和天皇)から賜った剣や宝石などの日本と関係ある品々をこっそりと持ち出して、どこかに隠しました。その後、フジオカ一家は財産を失い、収容所へ送られました。夫は「もし自分がアメリカのために戦ったらアメリカ合衆国とアメリカ人は日系アメリカ人を好きになってくれるだろう」と言って、日系人部隊の第442連隊戦闘団(以下442)に自ら志願して入隊したそうです。

夫はヨーロッパ戦線に送られて懸命に戦いました。ある日、隣にいた親友は弾丸で吹き飛ばされたそうですが、夫は怪我をして病院へ搬送されました。また442にいた夫のいとこは、怪我が回復して戦線に戻ったとたん戦死したそうです。いとこの死は終戦3週間前のことでした。
ヨーロッパから戻ると夫は1年間も入院しました。戦前はUCバークレーの医学部進学のクラスで成績は全てAと優秀でしたが、戦後は授業に集中できなくなり、タバコを吸いお酒を飲み、ギャンブルばかりするようになりました。彼の両親が、身分不相応の私との結婚を許したのは、おかしくなってしまった彼に結婚をして落ち着いてほしかったからだと思います。


― 結婚生活はいかがだったのでしょうか。

夫は稼いだお金をギャンブルに使い、時には友人に借金までしてギャンブルをしたこともありました。私は花屋で10時間も働きましたが、賃金が安かったので借金返済は本当にキツかったです。夫はハッピーそうな時もありましたが、家では白昼夢でも見ているかのようで意識はどこかへ飛んでいました。夫の友人は戦後は学校に戻り医者や弁護士になったのに、なぜ彼は他の人たちのように生きれないのかと私は不思議でたまりませんでした。夫が亡くなった後に、彼は心的外傷後ストレス障害(PTSD)だったと思いました。生前は分かりませんでした。

― ご主人と結婚したことを後悔したことはありますか。

いつも後悔でしたよ(笑)。一時、別居をしたこともありましたが、友人が「離婚はしないほうがいいわよ。再婚してももっと悪くなるかもしれないし。別れたら子どもたちは大学へ進学できないかもしれないわよ」と忠告してくれました。私は夫を愛していたので離婚はしませんでした。離婚していたら寂しかったでしょうし、二人の息子も今のように成功できなかったでしょう。結果的に良いようになったと思います。夫は多くのことを成し遂げたと思います。なぜなら自らの命と人生を捧げたからです。彼は私の誇りです。長生きして息子の立派な姿を見てほしかったですね。二人ともフジオカ家の才能と性質を受け継いでいますから


写真・文・構成 Tomomi Kanemaru(日刊サン)


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JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

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