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日系社会のフロンティアを尋ねる vol.14 - 竹中征夫 Takenaka Partners LLC President & CEO
日系社会で活躍するリーダーと各界で活躍する日系リーダーを尋ねるシリーズ。第14回目は、Takenaka Partners LLC President & CEOの竹中征夫(ゆくお)氏にインタビューした。

竹中征夫

1942年愛知県生まれ。1957年、15歳でアメリカに家族と共に移住。アメリカの大手会計事務所の一つPMG(現KPMG)に初の日本人として入社、初の日系人パートナーとなる。1989年にTakenaka Partners LLCを設立し、数多くの日系企業の海外進出を手がける。南カリフォルニア日米協会の活動に力を入れ、日米友好に貢献する。『企業買収戦略』など著書多数。2013年、伝記『サムライ会計士―昭和のジョン万次郎と呼ばれた竹中征夫』仲俊二郎 (著)が出版される。



100%日本人100%アメリカ人

—世界中でグローバル化が叫ばれる中、日本と日本人はグローバル化しているのでしょうか。

いかに地球が狭くなっているかということは、皆さん、分かっています。テクノロジーの発達で、これまで不可能だったことが今は瞬時にできるようになりました。しかし世界がこのようになっても、日本は昔のままで島国なんです。島国には良さも悪さもありますが、現在の日本は、頭がグローバルになっても体が全くついていっていません。
例えば、ある日系企業の売り上げの8割が日本国外で日本国内は2割を下回っています。社長というのは運営責任者でもあるので、8割の市場に力を入れるべきであって、2割の市場には2割の力を使うべきです。しかし社長や役員たちは日本に留まっています。つまり8割の力を2割の市場に使い、8割の市場には2割の力しか使えないという状況を作っています。
島国の日本は“居心地が良く”、楽なんです。頭では8割の売り上げを考えなければいけないと分っていながら、体は日本国内に留まり、日本をベースに考えます。これでは頭と体がバラバラです。頭と体を近づけなければ、グローバル企業になろうとしてもなれません。このような考え方を変えていかなければグローバル化についていけません。
これからはグローバルに物事を考えないといけないというのに、「グローバル化」が何であるかさえ分からない日本人や日本企業があります。これが問題です。世界の人と交われる能力、偏見は持たず人は皆平等であるというように付き合っていけるような国にならなければなりません。
私は、親の事情で自分の意志とは関係なくアメリカに連れてこられました。英語も環境も分らない中で、どうやって生きていくのかと思春期の中、悩みました。結論として出したのは二つです。一つは、私は訳も分からずアメリカに来たけれど、理由が必ずあるはずだと思いました。その理由は神様かもしれない。私がアメリカにいる理由はあるのだから、私はアメリカで何をしたらいいかを一生懸命考えようとしました。
もう一つ、私は日系社会に閉じこもるのではなく、アメリカのメインストリームに入っていくんだと若い頃に決めました。そこで私は100%のアメリカ人になろう、100%の日本人になろうと決めました。出発点が100%です。私は100%のアメリカ人になろうとして、100%の日本人になろうとして、その結果が50%50%です。ただ50%50%になったのとは違います。私の場合は勉強も知識も意欲も違います。ほとんどの人が意志を持たずに、結果論として50%50%となっています。
「グローバル」のことをよく分っていない人は、日本の良いところを捨ててしまい、グローバルであることだけが良いと思ってしまう。そうではありません。日本人の良いところを保たなければなりません。これを失って何が日本人でしょうか。100%日本人でいいんですよ。私がやったことは、同時に100%グローバルになることです。そして結果的に50%日本人で50%グローバルのハイブリッドになれたわけです。これがとても大切だと思います。自分の意志でやっているので、プロアクティブです。自分で行動します。何かに反応しているわけではありません。この差は非常に大きいです。


日米のことわざから原点を学ぶ

—15歳の竹中さんはアメリカでどのような努力をされたのでしょうか。

人は困った時には“杖”が必要です。独りでは生きれません。杖は人によって違いますが、私の場合、日本が私の杖でした。アメリカに来て自分が日本人だと自覚しました。ある意味、日本を美化して日本に憧れました。
私の成功は、タイミングや運が良かったことにあります。1945年に終戦し、1957年に私はアメリカに来ました。ある時、私がハンバーガースタンドで並んでいたら、後ろから来たアメリカ人のおばあさんが、「ジャップが憎らしい」と言ったんです。私は驚いて振り向くと、そのおばあさんは「硫黄島で殺された私の孫はどうしてくれるんだ、ジャップ」と私に向って言いました。しかし、すでに戦後12年が経っていたので、こんな体験があっても私は日本人でいることができました。
一方、戦前にアメリカに移民してきた日本人は違います。排日運動が高まる第二次世界大戦前後は、「私は日本人だ」と大声で言える時代ではありませんでした。さらに日本が負けたことにより、日本人や日系二世たちは強制的にアメリカに溶け込まなければなりませんでした。そうしなければ自分たちの立場が危ないと思ったからです。これは日本を忘れ日本から意図的に離れるということです。「日本人でいる」ことが誇りに思えなかった日系人もいました。強制的に溶け込まなければいけない時代に生まれた日系人たちは、悩んだのではないでしょうか。しかし私の場合は戦後12年が経過していたので私は「日本人でいる」ことができました。こういう意味で、私はとてもラッキーだと感じています。
私は中学二年という若さでアメリカに来たので、日本を学ぶことも必要でした。ある時、日本のことわざを使えば、日本のことを短時間で学べると、ことわざの大切さに気がつきました。ことわざを学ぶことで日本の原点が分るのです。一方、アメリカのことわざを学ぶことでアメリカの考え方の原点が分かります。
例えば、日本には「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがあります。今の日本の家庭は逆をしています。このことわざの原点は、親がいくら力があっても子供より先に死ぬので、ずっと子供を守るわけにはいかない、だから親が死んだ後も子供は生きていけるようにならないといけないということです。ことわざには幾千年の日本人の智恵が入っています。いつの時代でも通用します。私は100%日本とアメリカのことわざの良いところを使って生きています。
私は自分でもことわざを作っています。「過ぎ去った時間は取り戻せない」。1989年にホンダ創業者の本田宗一郎さんと出会い、私はKPMGのパートナーでしたが、独立して今の会社を作りました。仕事は全く違いますが、KPMGのお客様もスタッフも誰も連れていきませんでした。私はKPMGに反感を持たれたりするのが嫌でした。KPMGに教えていただいたことへ非常に感謝しています。もしKPMGと悪い関係になったら、自分が費やした時間を捨てることになります。そんな無駄なことはできません。「過ぎ去った時間は取り戻せない」。だから、自分のことわざも作って生きているわけです。原理原則の大切さというのを分かると、グローバルなビジネスもやりやすいです。
人生は勉強道場です。学ばなくなったら人は死にます。体が元気でも学ばなくなったら、その人は死んでいます。私の場合は学ぶから元気なんです。学び方には2つの方法があります。一つは知識。学校での教育、セミナーに参加したり、読書をしたりです。しかし、これではまだ半分です。人生で大切なのはwisdomです。これはとてもアナログで、人生を歩まなければ身に付きません。「智恵と工夫」は勉強しただけでは身に付きません。だから年をとればとるほど工夫をできるようになるのです。
人間は脳が司令塔なので脳を活発にしておけば、ずっと学びは終わりません。活発にするために必要なのは、パッションですよ。まずゴール、夢を持つことです。ゴールも夢もないのに、パッションを持つことは難しいです。困った時に乗り越えるのがパッションです。無理に自分がやることを決めてはいけません。「これが良いから、こっちへ行こう」ではなくて、自分がやりたいこと、好きなことを見つけて行動することです。嫌なことをやっていてパッションが湧くはずはありません。
私はゴールへたどり着くプロセスの中で、楽しみを作ります。私の場合、予定表を手書きで作ります。毎朝これを見ます。見ていると空間があるので何か予定を入れたくなります。ある時は「昨日は頑張ったよな」と振り返ります。昨日よりは今日が良い、今日よりは明日が良いというふうに、小さいなプログレスを作ることが大切です。また自分の楽しみを自分で作ることも大切です。


感謝、謙虚、工夫で全てが手に入る

—今後の日本、そして日米関係についてのお考えをお聞かせください。

日本は第二次世界大戦で敗戦して計り知れないほどのインパクトを受けました。アメリカに占領されて、今の日本国憲法はアメリカが作ったものです。アメリカが強い理由は、アメリカへの移民たちは闘って自分の憲法を自分の意志で作ったからです。日本国憲法は「日本人が民主主義の元に生きれるように」とアメリカ人が良い意味で作った面もあると思いますが、その結果、日本は中途半端になってしまいました。自分の意志でやったことは自分に責任がありますが、人から押し付けれられたことは自分の意志ではないので、全てが中途半端になります。そこが日本の問題です。戦後、結果的に日本人は日本の良い部分をかなり捨ててしまいました。例えば、目上の方を尊敬し崇拝することや家族愛の大切さなどですね。
アメリカでは「フリーダム」が大切です。アメリカ人は、フリーダム、リバティには義務と責任があると教えられています。ところが日本ではこのような教えがないので、自由は与えられたもの、当然の権利だと思っています。自由に繋がる義務について分かりません。だから「ほしい、ほしい」ばかりです。日本人は民主主義は自分の権利だと思っています。しかし民主主義とは、みんなの平和のためにあるのであって権利ではありません。ただ貰うのではなくて、作っていかないとならないものです。
私が今の仕事をできるのも、今のポジションでいられるのも、良い日米関係があるからです。第二次世界大戦中、アメリカの西海岸に住んでいた日本人・日系人は強制収容されました。日米関係というのは、ただ“エンジョイするものではない”というのが私の意識です。日米関係の恩恵を私たちは受けているのです。大切な物には水をやり肥料をやり、維持をしなければ枯れてしまいます。枯れさせてしまったら私たちの生活もできなくなりますし、さまざまな問題が起こります。
アメリカに来て、「商売をやってあげている」と思っていたら大間違いです。日本企業が東南アジアへ進出し、「自分たちは投資をしてやってるんだ」と言っているのを聞きます。ビジネスですから利益がなければ進出しません。利益が出るのですから感謝がなければいけません。「ビジネスをやらさせていただいている」という考え方がグローバル社会においてとても大切で、これがグローバル化の原点です。これを日本人がどこまで意識できるかです。
日本人は自分のことだけを心配して人に対する配慮がありません。なぜ、短時間で日本のバブルが崩壊したのかご存知ですか?答えは、日本国のモラルの欠陥です。
戦後、日本が貧しくて食料もない焼け野原になった時、アメリカなどは日本が立ち直ることをいろいろとやってくれました。生産のやり方も教えてくれました。そして日本人が作った物を世界中が買ってくれました。日本は世界にお世話になったのです。そして日本がNo.1になった時、世界が「日本は一人勝ちですね、売り込むだけでなくて、私の国の物も買ってください」と言いました。
本来の日本のモラルでしたら、「お世話になりました。今度は私たちが皆さんに感謝の気持ちを表す時です」と言って、日本の市場を広げたでしょう。しかし実際は、海外の物が入ってきたら日本がやられると自国の心配ばかりでした。日本のような特殊な市場を海外の国が奪えるわけがありません。だからプラザ合意で円高にさせられて、成金になった日本人はお金を使わせられて、その後、バブル景気が崩壊して、今や日本は貧しい国となりました。
自分でやったと思うか、皆さんのお陰でできたと思うか、です。謙虚さがない人は、自分で自分の足をすくっています。感謝、謙虚、工夫、この3つは私の人生観となっています。まず感謝しましょう。感謝すると理屈なしにとても良いものが来ます。謙虚であると自分が救われます。工夫は、神様がくれた泉なので使わないといけません。この3つをすると全てが手に入ります。成功、お金、幸せ、満足感、友だち、なんでも手に入ります。一番美しいのは、これらには一銭もお金がかからないことです。
「世の中に、パーフェクトな国はない」というところからスタートしなければなりません。日本もアメリカもパーフェクトではありません。しかし世界を見た時に、どの国にリーダーであってほしいですか?秩序を保ち、ある程度、公平でやる国はどこですか?アメリカにも悪いところはたくさんありますが、アメリカしかないです。アメリカは行き過ぎたりもしますが、いつもフェアである力もあります。日系人にも戦後、強制収容が間違いだったと認め謝罪をし、十分ではありませんが補償金を支払いました。この姿勢があるかないかでは全く違います。また出会いに偶然はありません。会うべくして会っています。日米がこうなったのはなるべくしてなったと私は考えます。ですから日米関係には水をやり肥料をやり、強くして枯れないようにすることが、日本にとっての一番良い道だと思っています。



写真・文・構成 Tomomi Kanemaru

2015/02/28 掲載

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