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日系社会のフロンティアを尋ねる vol.11 - テリー・シマ 前日系米国人退役軍人協会事務局長
日系社会で活躍するリーダーと各界で活躍する日系リーダーを尋ねるシリーズ。第11回目は、日系米国人退役軍人協会( JAVA)の前事務局長、テリー・シマ氏にインタビューした。

テリー・シマ

ハワイ生まれの日系二世、91歳。第二次世界大戦中に徴兵されてアメリカ軍の日系人部隊「第442連隊戦闘団」に入隊し、442連隊の広報の任務に就く。戦後は 日系人退役軍人協会で事務局長などを歴任。2013年2月には、オバマ大統領から「大統領市民勲章」を授与される。これは一般市民に与えられる2番目に位が高い勲章。同年4月には、日本政府より「旭日小綬章受章」を授与される。



アメリカへの忠誠を証明するために戦う

—日米開戦後の1942年、アメリカ政府は、アメリカ本土の西海岸に住む日系アメリカ人(以下、日系人)約12万人を、8州10カ所の収容所に強制的に入れました。収容所の周りには鉄線が張られ、ガードタワーのアメリカ兵の銃口は、収容所内の日系人に向けられていました。

このような状況にもかかわらず、多くの日系二世たちはアメリカ陸軍に志願し、入隊後はヨーロッパ戦線などで目覚ましい活躍をしました。なぜ、日系二世たちは、囚人のような扱いを受けながらも、アメリカのために命を惜しまずに戦ったのでしょうか。この背景には、一体、何があったのでしょうか。
日米開戦以前から約5000人の日系人がアメリカ陸軍に所属していました。1941年12月7日の真珠湾攻撃以降、アメリカ政府は、全ての日系人が“妨害工作を行う大日本帝国のスパイだ”と間違った認識を持ちました。当時、私たち日系人はアメリカへの忠誠がないと見なされ、アメリカ国内では日系人に対する反応が異様なほど過敏になりました。そこで政府は2つの政策をとりました。
一つは、軍隊で任務に付ける資格を日系人から取りあげ、「4c」という「外国人は軍隊任務に適任ではない」という立場に変更しました。有事の際に軍の任務に就くことは、全アメリカ市民の権利であり責任であるにもかかわらずです。この決定は「アメリカは日系人をいらない、アメリカは日系人との関係を切った」ということを意味しました。
二つ目は、1942年2月19日にルーズベルト大統領が発令した「大統領令9066号」です。これにより、アメリカ西海岸とハワイは、アメリカ軍により統治されることになりました。西海岸を統治する軍は、西海岸に住む日系人の強制収容を決定しました。このうち66%がアメリカ市民でしたが、日本人を祖先に持つ者は“敵性外国人”と見なされ、この命令に従わなければなりませんでした。
強制立ち退きを命じられた日系人たちは収容所が完成するまで、各地のアッセンブリーセンターと呼ばれる場所で集団生活を強いられました。ロサンゼルス地域ではサンタアニータ競馬場がアッセンブリーセンターとして使用され、1つの馬小屋に2つの家族が入れられました。馬の匂いが染み付いた小屋での生活は、動物と同じ扱いでした。
このような政府の扱いは違憲だと意義を唱えたのが、フレッド・コレマツ、ゴードン・ヒラバヤシ、ミン・ヤスイら二世たちでした。彼らはたちまち逮捕され、刑務所に送られました。そんな中、ある日系二世のグループが「戦地で戦えるようにしてほしい、そうすればアメリカへの忠誠を見せることができる」と政府に懇願しました。この二世のグループはアメリカへの信頼を失わず、日系人のアメリカへの忠誠を証明するため、戦地で戦ったのです。


—ハワイでの日系人は本土と違い、強制収容はリーダーの方たちだけでした。真珠湾攻撃後の様子をお教えください。

日本の攻撃の後、日系人の人生は、これまでのようにはいかないだろうと19歳の私は悟りました。ハワイにも戦争の異様な雰囲気が漂っていました。全ての日系人は大日本帝国のスパイだと疑われ、統治権を持つ陸軍は強制収容を進めていました。しかし日系人スパイは見つからず、FBIは収容には反対でした。一方、ハワイの日系人たちは、「どこかに閉じ込められるのではないか…」と不安な日々を過ごしていました。
ハワイを統治する軍人デロス・エモンズ中将には、ワシントンDCを経つ前に、「日系人をモロカイ島に閉じ込めるように」という命令がくだっていました。しかし中将は、インテリジェンスとハワイのFBIのディレクターから報告を受け、西海岸のような強制収容は不要と判断しました。すでに1500人の日系人が抑留されており、残りは厳戒令で十分と確信しました。
中将は即座には政府の命令に従わず、日本がアメリカを侵略することはないという戦況になるまで、2年間も大統領と政府への協力を引き延ばしたのです。自分のキャリアや昇進が危うくなったにもかかわらず、政府への協力を拒み続けました。エモンズ中将は勇気ある人ですよ。


大統領が認めた日系人の忠誠

—アメリカ生まれでアメリカ軍日系人部隊「第442連隊戦闘団」に所属したシマさんにとって、両親の祖国、日本は敵だったのでしょうか。

シマさん(左)と夫人のベティさん
戦争中、ドイツ、イタリア、日本はアメリカの敵でした。つまりアメリカ市民の“日系アメリカ人”にとってもこの三国は敵でした。私たち日系人部隊はアメリカ市民であるがゆえに、これら三国と戦いました。
日本生まれの父は高等教育のリーダーでコミュニティのリーダーでもありました。しかし私たち親子が日米間の戦争について討論したことはありませんでした。私と兄はイタリア戦線に行きました。父は戦地へ赴く私たちに「私たちの国アメリカのために、りっぱに戦いなさい」と言って送り出してくれました。父は祖父から教えられた武士道を、私たちにも教えてくれたのだと私は思います。
日系二世はアメリカ人ですが日本人の血が流れています。日本文化を深く尊敬し、人種的にも文化的にも日本と切れることはありません。私たちの両親や日本兵たちも、どのように生き、どのように忠義を尽くすか、侍の基本などを教えられました。基本的に、日本兵も日系二世も同じように育ったのだと思います。


—シマさんは、442連隊でどんな任務に就かれましたか。

442連隊の補充兵としてイタリアへ派遣されたのですが、イタリアへ到着した日にドイツ軍が降参したので戦場には行かず、かわりに442連隊の広報に配属になりました。そして442連隊の活躍をアメリカ各地の新聞社などに提供しました。


—アジア太平洋地域で任務に就いた日系二世もいました。彼らの任務は何だったのでしょうか。

アメリカ生まれの日本育ちだった帰米二世が主でしたが、彼らは日英両語が堪能だったので細かいニュアンスの理解を要する通訳として活躍しました。日本人捕虜や兵士らは二世たちを見て、「なぜアメリカのために戦っているのか」と質問しました。
戦中、サイパンでは8人の日本兵が120人の市民を人質に洞窟に立てこもった時がありました。この時、コボウという日系二世が一人で洞窟へ近づいていきました。日本兵は二世を見て驚いたようで攻撃もしませんでした。「お前は我々の仲間じゃないか!なぜ、アメリカのために戦っているんだ?もう少しで撃つところだったじゃないか!」と日本兵は言って、コボウを洞窟に招き入れました。コボウは持っていた食べ物やたばこなどを日本兵に分け与えました。日本兵たちはコボウに「なぜアメリカのために戦っているか」と尋ね、コボウは説明したのですが、兵士たちは納得しません。そこでハワイの日本語学校で学んだ平重盛の言葉、「忠ならんと欲すれば孝ならず 孝ならんと欲すれば忠ならず」を日本兵に言うと、彼らはやっと納得したそうです。そしてその後に、彼らは120人の市民を解放しました。
コボウはこの活躍に対して兵士に贈られる二番目に高いメダルを授与されました。コボウは受章を誇りに感じましたが、彼が一番嬉しかったことは、8人の日本兵たちが自決せずに武器を捨てて、120人の市民の後に洞窟から出てきたことでした。 ―アメリカ政府は、日系二世たちの活躍を見て、日系人の忠誠に満足したのでしょうか。
日米開戦後、「忠誠」がキーワードでした。戦いが終わると、政府は私たちの忠誠に満足しました。442連隊は戦果においても受章したメダルの数においてもアメリカ史上、一番です。脱退者もおらず鍛錬があり勇敢に戦い抜きました。
1946年7月15日、雨の中、トルーマン大統領は442連隊の帰還イベントに出席し、「あなたたちは海外の敵と戦い、国内の偏見と戦い、そして、あなたたちは勝利しました」とスピーチしました。これにより日系人はアメリカへの忠誠心があると宣言されたのです。これは、日系人への人種差別と偏見を打ち負かした最高の声明でした。442連隊の素晴らしい活躍が、軍隊でも市民生活でも全てを新しく変えたのです。


戦地で亡くなった戦友に代わり受章

—2013年2月15日、シマさんは、アメリカやアメリカ市民に貢献した人に贈られる「大統領市民勲章」をオバマ大統領から授与されました。また、同年には日本政府から「旭日小綬章」を授与されました。どんなお気持ちでしたか。

オバマ大統領(右)から「大統領市民勲章」を授与されたシマさん = 2013年2月15日、ホワイトハウスにて(JAVA提供)
「大統領市民勲章」受章の時は、ヨーロッパや太平洋の戦地で亡くなった800人以上の日系二世たちのことが浮かびました。この勲章は私へではなく、亡くなった彼らへ贈られたと私は思っています。なぜなら彼らは命という一番大切なものを犠牲にしたからです。
大統領から勲章を授与されることは、アメリカでは非常に名誉です。2000年にはクリントン大統領が元442連隊所属の退役軍人20人に勲章を授与しましたし、あるイベントでは、ブッシュ元大統領とオバマ大統領が442連隊の活躍を讃え、会場にいた元442連隊の日系人たちに惜しまない拍手を贈りました。日系人の受章は、日系人だけのことに留まりません。これは、日本人が移民した国でその子孫たちが、素晴らしい活躍をしているということです。
「旭日小綬章」を受章した時も、私が個人で受章したというよりJAVAが日本政府によって評価されたと思っています。


—JAVAの活動についてお教えください。

2003年から2011年まで、私はJAVAの事務局長を務めました。今もまだJAVAでボランティアをしています。私たちは、ヨーロッパ戦線や太平洋戦線での二世たちの偉大な業績を永続的にするための活動をしています。

—シマさんは、NITTO TIREがプロデュースした日系アメリカ人ドキュメンタリー「Our Heroes」に携わりました。このように日系企業が日系史を一人でも多くの方に知ってもらおうと取り組んでいることについて、どのように感じますか。

NITTO TIREの取り組みは、日本と日系アメリカ人の関係、ひいては日米関係をより強いものにすることに貢献しています。JAVAは、NITTO TIREがダニエル・イノウエ上院議員のドキュメンタリーをプロデュースした時もプロジェクトに携わりました。プロジェクトを通して、私はTOYO TIREのCEOである水谷友重氏を非常に尊敬しています。

NITTO TIRE がプロデュースした日系史DVD「OUT HEROS: BUILDING TOGETHER A NEW HAWAII 語らぜらるハワイの英雄達」と「SCOTT FUJITA: THE MAN BEHIND THE NAME」の2枚組

—91歳のシマさんから若い読者へのメッセージをお願いします。

私は、毎日、いまだにさまざまなことを学んでいる身なので、正直、若者にメッセージを言えるような立場ではありませんが、僭越ながら述べさせていただきます。
今後は、第二次世界大戦の時に日系人には起きたことは二度と起きないでしょう。日系人たちがアメリカ政府の命令に従い、収容所へ行ったことも、アメリカ軍に志願して入隊したことも、今、振り返ると正しかったことだと思います。しかし、もし、私が若い頃に戻り人生をやり直せるなら、私はもっと勉強をしたいですね。おそらく科学の分野に進んで人類が劇的に変る何かを創造して、人類に貢献したいです。
最近は、自らの貴重な時間を無駄にしている若者が大勢いるように思えます。ぜひ、私たちの歴史から学び、時間を無駄にせず、どんどん進化してもらいたいです。



「第 442連隊戦闘団」

第二次世界大戦中、アメリカ陸軍に日系人二世で編成された部隊。アメリカ上で、もっとも多くの勲章を受けた部隊。ヨーロッパ戦線に投入され、目覚ましい戦果をあげた。部隊のモットーは「Go for broke!」。特に有名なエピソードは、テキサス大隊救出作戦。ドイツ軍に包囲された211人のテキサス大隊を救出するために、442連隊は800人以上の死傷者を出した。2010年に、アメリカで民間人に与えられる最高位の勲章「議会名誉黄金勲章」をオバマ大統領から授与された。


=Tomomi Kanemaru

2014/11/01 掲載

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