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日系社会のフロンティアを尋ねる vol.7 - デビッド・ヤマハタ 元ロサンゼルス市消防局副局長・緊急作戦指揮官
日系社会で活躍するリーダーと各界で活躍する日系リーダーを尋ねるシリーズ。第7回目は、2012年までロサンゼルス市消防局で、副局長、そして緊急作戦指揮官を務めたデビッド・ヤマハタ氏にインタビューした。

デビッド・ハマハタ

日系三世。日系人初のLAFD副局長に就任し2012年引退。毎夏の「二世ウィーク祭り」パレードには消防車に乗って参加。2013年、日本外務省が主催し、米日カウンシルがプログラムの計画と運営を行う「在米日系人リーダー訪日プログラム」に参加。



日系人初のLAFD副局長

—幼少の頃は、どのような子供でしたか。

スポーツが大好きで、日系アメリカ人(以下、日系人)が会員のスポーツリーグ(CYCバスケットボール、Friends Of Richardなど)に所属し、野球やバスケットボールをしていました。日系人は他の人種に比べて体が小さいので、スポーツの種目によっては他の人種との体格差が激しいと試合にならない場合もあります。そこで、日系のスポーツリーグでは身長などの体格が似ている日系人同士でゲームを楽しむことができるのです。また子供たちはスポーツリーグを通して日系コミュニティーに溶け込み、ピクニックなどの活動に参加して社交性も身につけます。
私は現地の学校の他に日本語学校で日本語を勉強しました。祖父母との会話はほとんどが日本語でしたので、彼らの存命中は日本語を話しました。しかし祖父母が亡くなると、両親も英語だけを話すようになり、私も日本語を話す機会がなくなってしまい、使わないうちに忘れてしまいました。また、当時は友達と遊びたくて、二種類の学校に通うのが嫌でたまらなかったので、6年間で辞めました。今になると、もっと日本語を使っておけばよかったと後悔しています。
私の性格はとても静かで、高校生くらいまでは内気でした。ロサンゼルス市消防局(LAFD)に勤務し始めてからは、そんなことを言っていられなくなりましたがね(笑)。
私には兄弟が三人います。男四人だと食費もかかりましたよ。私たち家族は貧しかったのですが、父が100lb入りの米を買ってきてくれて、肉などのおかずは少なかったけれど、白いご飯はいつもありました。お腹がすくと、ご飯に醤油をかけたりケチャップをかけて食べていました。“パンよりご飯”で育ちました。


—消防士になったきっかけを教えてください。

私の両親は、私たち兄弟が成功することを願いながら育ててくれました。両親が言う“成功”とは医者、弁護士、または歯医者の職に就くことです。私は高校卒業後、UCLAで生物学を専門としました。3年になり歯科大へ願書を送りましたが、成績が悪く、すべて落ちてしまいました。歯医者になりそこねた私は、大学卒業後、せっかく取得した学位も使わない車のパーツの販売店マネージャーとして働きました。
1976年、高校時代の友人から「ロサンゼルス市消防局(LAFD)の就職試験を一緒に受けないか」と誘われました。当時の私の月給は800ドルで、消防士は1200ドルだったので、試験を受けようと決めました。


—消防士はとても危険な職業ですが、ご家族の反応はどうでしたか。

LAFD勤務後、一回目の昇進をしたヤマハタ 氏(右)。消防士からはしご付き消防車のオペレーターに昇格。バッジを上司から受けた
母に「消防局に勤めるよ」と話したところ、「救急救命士になるの?」言われました。「消防士になるんだよ」と言うと、両親はあまりいい顔をしませんでしたね。なぜなら消防士は、危険な職業で、また日系人が通常なる職業ではありませんでした。
当時、消防局3500人中、日系人は10人いませんでした。日系人の数が少ないのは、まず5・8フィート(消防士に必須な身長)ある日系人がなかなかいなかったこと、一世や二世の親は、子供には医者や弁護士など収入が良い専門職についてほしいという希望があったからです。医者などと違い、消防士は年金と福祉手当がいいという利点があります。
私が昇進していくたびに、両親は私のことを誇りに思ったようです。私は、日系人初のキャプテンになり、副局長になりました。当時は、消防士希望の人のほとんどが大学卒ではありませんでした。学士は必須ではありませんでしたが、大卒だったこと、2006年に修士を取得したことは私のあとあとの昇進に関係したと思います。


—LAFDでの任務を教えてください。

消防士の任務は困難な仕事です。任務中は汚れますし、怪我もすれば死ぬ可能性さえあります。多くの人がなりたいという仕事ではありません。危険が伴うので消防士や警官になりたいという人口は、医者や弁護士に比べて圧倒的に少ないです。もしかしたら今日が最後の日になるかもしれないと毎日思いました。
炎があがるビルの中に入ると煙で何も見えなくなり、地面を這って、天井が落ちてくるかどうか注意を払いながら、犠牲者を捜索します。訓練では、炎との戦い方、危険なエリアの見分け方など教えてくれます。現場では経験のある消防士と一緒に行動し、徐々に経験を積み、次は新人を指導する側になるのです。
私が2012年の引退まで務めたLAFD緊急作戦指揮官は、消防署、港、LAXなどを含む約3000人を統括する職務で、とても責任重大でした。電話があると昼夜休み関係なく出動しなければなりませんでした。また、ロサンゼルス市長や市議会議員と友好関係を持続することも任務の一つでした。彼らの地区に何が必要か議員たちの要望に耳を傾けたりもしました。


未知なことを恐れない

LAFD副局長・緊急作戦指揮官のユニフォームを着るヤマハタ氏。1985年には日系人初のキャプテンにも就任した
—なぜ、危険な消防士を続けたのですか。

私は活動的だったので、毎日同じことを繰り返すことには向いていませんでした。消防士の任務では心臓発作、自動車事故など毎日の出来事が違います。また私は燃えさかる炎の中へ入ることにハラハラドキドキする性質でした。これは災害に対して感じたものではなく、“予想もつかない何か”に対して感じたことです。未知のことに対して私は恐れるのではなく、ハラハラドキドキするのです。あと他の人と一緒に働くのが好きで、人々を助けるのも好きです。消防士はとても満足できる仕事です。消防士に必要なのはこのようなメンタリティーです。消防士は、崩れ落ちそうなビルや爆発しそうな事故車から、命を救い出さなければなりません。恐れてはいられないのです。


—2013年に在米日系人リーダー訪日プログラムに参加されましたが、日本の印象はいかがでしたか。

私にとって初訪日でした。高円宮妃殿下や安倍首相、日本企業のトップの方々にお会いするなど、非常に素晴らしい経験でした。
ある日、私たちは福島県の被災した子供が通う小学校を訪問し、小学生と一緒に給食を食べました。子供たちは牛乳を飲み終わるとリサイクルしやすいように紙パックを破っていました。その後、子供たちは膝をついて教室の床を拭いたり、トイレを掃除したりしていました。私は小さい子供たちのそんな姿を見て感動しました。そこには“忍耐力”があり、私は自分自身が日本人であることに誇りを感じました。
消防士になる訓練では、100人中35人が脱落します。それほど厳しい訓練なのです。“途中でやめない”という伝統を、私は日系人の両親から受け継いだのだと思います。“やること全てにおいて、ベストを尽くし、成功させようとする”、このメンタリティーこそ、私が消防局に就職したときに持っていたものです。
出来る限り一生懸命働くと、どうにか困難を乗り切ることができることも私は両親から学びました。第二次大戦中、両親はトゥールレイク強制収容所に送られ、戦後に収容所から出された時には何も持っていませんでした。だから両親は再びすべてをやり直さなければなりませんでした。しかし、彼らは、戦前に築き上げた財産全てを奪い取られたことや戦後に何も所有していなかったことに対して一度も文句を言ったことがありません。


—今後はどのような活動をお考えでしょうか。

日系人の町であるリトル東京で、自分の経験を生かしたボランティア活動をしてコミュニティーに貢献したいです。例えば、ファーストエイド、地震や津波が発行したときの心がまえなどの講演とかです。私の母や多くの日系人が入居する敬老ヘルスケアでもボランティアをしたいです。私の活動を通して私の子供たちにも日系人の伝統を少しでも受け継いでもらいたいです。


=Tomomi Kanemaru

2014/05/10 掲載

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