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特集記事



JANMへ行こう!! vol.35 - 自分の特質を生かしJANMボランティアをしよう②


今月のガイド
ボブ・カツミ・ウラガミ さん

1928年ロサンゼルス生まれ。日系二世。コロラド州アマチの収容所に送られる。そこで未来の妻となるルミさんと出会う。海軍に入隊し、GIビルで大学へ進学。手先が器用な特質を生かし、引退後、1991年にJANMのプロダクション・デパートメントで大工仕事を主にするボランティアを始める。



―アマチの収容所で、奥様のルミさんと出会ったそうでうね。

お手製のニットの服を着ているルミさん。胸には博物館のロゴが編まれている。ルミさんは、社交的でクラフトが上手だったのでガイドと折り紙などを子供達に教えるボランティアをした。ルミさんは1988年からの初代ボランティアの一人。2013年6月5日に亡くなった
私たちは同じ9年生でクラスメートでした。彼女は6人の女友達がいてよく笑っていました。彼女もサンタアニータ競馬場のアセンブリーセンターに送られたのですが、その頃は知りませんでした。彼女の家族は馬小屋に住まわされていて、私は駐車場に建てられた新しいバラックにいました。後で、ルミの弟で、現在のターミナルアイランダーズ会長の藤内稔がいつも「馬小屋は臭かった〜〜」と言っていました。

藤内家は、戦前、13のマーケットを経営するなどビジネスで成功していました。しかし戦争が始まり、すべてを失いました。特に藤内家はターミナルアイランドにいたので、アメリカ政府から48時間以内の立ち退き命令が出て、持っている物を処分する時間さえなかったそうです。戦争が終わり収容所から出てきた日系人はみんな貧しかったのですが、藤内家はさらに貧しかったですね。


稔から聞いた話ですが、お金がなかったので、男兄弟だけがUCLAに行き、ルミは大学に行かせてもらえませんでした。日系一世たちの文化では男が優先されますからね。ルミは戦後、住み込みで家事手伝いをしながら学校に通う「スクールガール」をして高校を卒業しました。稔はルミに感謝していますよ。当時、彼らの食費の半分は、ルミが稼いだお金でまかなっていたからです。


―ルミさんもJANMのボランティアでしたね。ウラガミさんは、奥様に影響されてボランティアを始めたのですか。

私は、当時、博物館や美術館というものには全く興味がありませんでした。しかしJANMの一番最初の展示「一世の開拓者たち」を見て私は変わりました。その展示には写真花嫁についての展示もあり、私に日系一世の世界を語りかけてくれました。私は世界恐慌の時に育ったので、食べ物のこと、住まいのことなど目先のことばかり気にして、私の両親や日系一世たちがどのような時代を乗り越えてきたのか、全く気にも止めていませんでした。JANMの展示が、日系一世たちに敬意を表して開催されたと聞いて、私は、これまでの恩を返すためにもJANMでボランティアをしなくてはならないと思いました。

私が展示を見ていると、プロダクション・デパートメントのスタッフと話す機会がありました。「私は大工仕事が得意なんだ」という話をしたことで設営の手伝いをすることなりました。それ以来、展示用のパネルを作るなど、館内のさまざまな大工仕事の手伝いをしています。


―ルミさんが、JANMでボランティアを始めたいきさつは、何だったのでしょうか。

JANM新館の展示の設営をするウラガミさん
1982年に、第二次世界大戦で活躍した日系人部隊の退役軍人達は、自分達の通ってきた道を展示する博物館が必要だと考え始めました。そこで彼らは当時、不動産開発業をしてメリット貯蓄銀行の会長だったブルース・カジさんに相談しました。博物館建設が決まり、どんな博物館にするのかを話し合いうちに、アメリカでの日本人一世や日系アメリカ人についても語りついでいかなければならないということになりました。日系アメリカ人の歴史を展示する博物館を作るための話し合いをするグループができて、稔も参加しました。しばらくして稔は、おしゃべり好きで社交的な姉のルミを誘ったのです。

JANMがオープンすると、ルミは毎日ボランティアをしていましたね。1000時間のボランティアをするのは稀なことですが、ルミの場合は2000時間でした。当時は来館する子供達に折り紙だけでなくクラフトも教えていたので、その準備は夜にしていました。博物館スタッフが、グラントをもらうためにボランティア時間を記録するようにとボランティアに伝えたので、ルミは記録をつけていたのですが、2000時間は彼女にとって、たいしたことなかったようですね(笑)。


―ルミさんは、クラフトが得意だったのですか。

クラフト教室の準備をするルミさん
ルミは5歳の時にはミシンを買ってもらい、自分の人形も服も全部自分で作っていたそうです。私と同じで手先が器用でした。

私達の子供が4、5歳だった頃、近所にも同じ年頃の子供がたくさんいて、ルミは近所の子供を集めてクラフトを教えていました。ある年の父の日の前には、「シボリを今日はしましょう。お父さんのためのネクタイを作りますよ」と言って、子供達はネクタイを作りました。ある白人の父親は、毎年父の日になると息子の手作りのシボリのネクタイをして自慢していました。ルミは、JANMにボランティアに来ても相変わらずで“クレイジーレイディ”として知られていました(笑)。

今年の6月5日でルミが逝って1年が経ちました。私は本当に特別な人を妻に迎えました。私はラッキーな男ですよ(笑)。




写真・文・構成 Tomomi Kanemaru 写真・ウラガミさん提供

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入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2014/06/07 掲載

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