Nikkan SAN

ロサンゼルスの求人、クラシファイド、地元情報など

日刊サンはロサンゼルスの日本語新聞です。 記事は毎日更新、求人、クラシファイドは毎週木曜5時更新。

特集記事



JANMへ行こう!! vol.26 - 移民の正しい認識を学ぶ!移民は冒険・勇気が必要


今月のガイド
ボブ・モリグチ さん

日系一世の父と二世の母を持つ82歳。サンフランシスコ出身で元薬剤師。コロラド州アマチ強制収容所(正式名称はグラナダ収容所)に入れられる。朝鮮戦争中は徴兵されてワシントン州の軍隊のM.A.S.H.(Mobile Army Sergical hospital)に勤務。戦後はJapanese American Citizens Leagueのサンフェルナンドバレー支部の会長を務め、人権についての活動を行う。



―日系アメリカ人(以下、日系人)がアメリカに移民してきた理由について誤解している日本人が多いそうですね。

「現在の認識は違うと思いますが、これまでの私の印象だと、多くの日本人は、日系人が日本で成功できなかったから日本を離れて移民したのだと思っているようです。しかしこれは全くの誤解です。新しい国で生活することは冒険ですし、移民は非常に勇気のいることです」

―多くの日本人は日系史についてよく知らないので、きっとそのような考えを持っている人はわずかだと思いますが、日系史を知らないというのが問題です。モリグチさんの家族の歴史を教えてください。

「私の父方の曾祖父のモリグチ ショウハチは、兵庫県たつの市の地主で筆屋も営みながら、揖保乃糸素麺を作っていました。叔父のキンジロウは、1915年にサンフランシスコで開催されたパナマ・パシフィックエキスポに、組合を代表して揖保乃糸素麺を展示しました。父には9人の兄弟がいたので、家督を継ぐ長男、養子に行った三男、自営業を始めた四男以外の6人が、1919年に仕事を求めてアメリカに移り住みました。母方の祖父は、裕福な家庭の出身で長男でしたが、アメリカに来ていた友人に誘われて、1903年に家督を弟に譲ってアメリカに移民してきました」

―サンフランシスコで暮らしていたモリグチさんたちは、アマチの強制収容所に送られました。

「親戚全員がまず北カリフォルニアの叔父の家に集まり、そこから全員で同じ収容所に送られました。そして1943年には親戚全員で収容所を出てユタ州の白人の農家の手伝いをしました。

1943年、私は6年生くらいで現地の学校に通っていて、白人の子供たちと仲良く過ごしました。1944年になると親戚の数人は収容所に戻り、私の家族は親戚と別れて南へと移りました。そこでの差別はひどかったですね。プールで溺れさせられそうになったり、自転車に乗っていたとき、石を投げられたり。あるとき、いとこのハルトが442部隊でイタリア戦線に行く前に私のクラスを訪問して、私が差別を受けないように『私たちはみんなアメリカ人だ』とクラスメートに訴えました。その後も他のクラスの子供は、私にいやがらせを続けました。彼らもハルトがアメリカのために戦っているのを知っていたのに…。ハルトは、イタリアで戦死しました。

収容所を出た後、何が私たちを待ち受けているか全く予測はできませんでした。しかし、私の両親は何か起きるたびに乗り越えて、収容所には戻りませんでした」


ガイド・ツアー オンラインお申し込みはコチラ▶




もっと知ってJapanese American!

日本村のあった島・ターミナル・アイランド③
ターミナル・アイランド育ちの藤内稔さんは、現在、ターミナル・アイランド出身者たちの会「ターミナル・アイランダーズ」の会長を務める。藤内さんに話を聞いた。

ーありし日のターミナル・アイランドにあった「古里」の状況を聞かせください。
「当時、日本人移民とその家族たちの多くは、ツナストリートとキャナリーストリート、ターミナルウェーの間に住んでいました。家はバラックで1軒家を2世帯で使っていました。私の叔父は大きな船を持っていて、すこし裕福だったので大きな一軒家に住んでいました。
村には神社、お寺、教会があり、猟師たちの集会所もありました。私たちはそこで剣道を習いました。靴も新聞も雑貨を取り扱う店もあって、まるで日本にいるようで、生活するにはとても便利でした」

ーでは、不便だったことはありますか。
「当時、若者のなかで大きな船を持っていた人はメキシコ沖まで行ってマグロを捕っていたので実入りがよくて、車を持っていました。自分の車を運転して村の外に住む日系人の女性に会いに行き、そこで相手の親に“ターミナル語”を話してびっくりされたそうです。なぜなら、日系一世のほとんどが猟師で猟師言葉を使っていました。猟師は危険と隣合わせで仕事をしていたこともあり、語調が荒い。私たち二世は知らず知らず猟師言葉を使っていました。ターミナル・アイランドの外で、この言葉を使って同じ日系人にも驚かれることがありました」


ー藤内さん自身もご苦労されましたか。
「中学2年のときに学校で課題発表する機会がありました。一生懸命発表したのですが、その後、私の親が担任の先生に呼び出されて『稔は発表を頑張ったが、ほとんど理解できなった』と言われました。英語は“ターミナルなまり”だったんです。それでもう一度1年生から英語を勉強することになりました。あのときは、本当に悔しかったですね」

ー平穏だったターミナル・アイランドが一変する事態が起きました。1941年12月7日、日本軍がハワイの真珠湾に駐留するアメリカ海軍を攻撃して戦争が始まりました。その当時のことを聞かせください。
「日本人は真面目で勤勉だったので漁獲量も多く、成功する人が多かった。他の国から来た移民や地元の白人はねたんで、日系人がいなくなればいいのにと思っていました。日本はすでに中国とも戦争をしていたし、ドイツやイタリアとも同盟を結んでいたので、FBIは、その前から日系人を調査していました」

ーその後はどうなりましたか。
「1942年2月の始めにFBIが来て、一世のリーダー格の人、漁業組合の会長、会社の社長などを逮捕して連行していきました。その後、ほとんどの一世が逮捕されました。私たち二世はアメリカ生まれでアメリカ市民だったので逮捕されませんでしたが、父親が逮捕されて生活が大変になった人もたくさんいました。一世の人たちはアメリカの市民権を持てず、日本人のままだったので、きっと日本と通じていると思われたのでしょう。私の父の所にもFBIがきたので父に伝えると、父は黙って背広に着替え、オーバーコートを着てFBIと出て行きました。父は覚悟していたようです。日本にいたとき、台湾征伐にいった在郷軍人だったのです。父が逮捕されてまもなく、村にいる日系人全員に「48時間以内にここから立ち退くこと」と、通達が出ました。1942年2月25日のことです。父とはいつ再会できるか分からない不安な状況で、生まれ育ったターミナル・アイランドを出なければならなかったことは、とても悲しくて厳しい試練でした。」

(次号に続く)




写真・文 HIROTAKA AKAIWA 写真・文・構成 TOMOMI KANEMARU


JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!

入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2014/02/15 掲載

Facebook   Twieet


[ 人気の記事 ]

フレッド 和田 - 東京五輪を実現させた日系アメリカ人

フジタ・スコット - アメリカの大和魂 

日系社会のフロンティアを尋ねる vol.4 - アイリーン・ヒラノ・イノウエ 米日カウンシル会長

JANMへ行こう!! vol.7 - 日系アメリカ人について、もっと知ろう!

JANMへ行こう!! vol.20 - 展示物にも書かれていないガイドの秘話が魅力

JANMへ行こう!! vol.29 - 忠誠登録27番と28番の答えと背景を聞く

JANMへ行こう!! vol.16 - 子供は日系人強制収容をどう見ていたのか?

JANMへ行こう!! vol.3 - 人種のるつぼLAだから人種について学びたい!

JANMへ行こう!! vol.30 - 日系アメリカ人の“帰米二世”について学ぶ

JANMへ行こう!! vol.15 - 差別・不当な扱いを乗り越えた日系人の話を聞く



最新のクラシファイド 定期購読
Sakura Reantacar Parexel Japan Graphics ロサンゼルスのWEB制作(デザイン/開発/SEO)はSOTO-MEDIA Bear Tours サボテンブラザーズ





ページトップへ