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日系社会のフロンティアを尋ねる vol.2 - テリー・S・ハラ ロサンゼルス市警副署長
日系社会で活躍するリーダーと各界で活躍する日系リーダーを尋ねるシリーズ。第2回目は、ロサンゼルス市警副署長であると同時にさまざまなNPO団体の理事や会長を務めるテリー・S・ハラ氏にインタビューした。

テリー・S・ハラ

ロングアイランド出身の日系3世。父親の家族は山口県出身で、両親はサンペドロのターミナルアイランド育ち。2008年にアジア系アメリカ人初のLAPD副署長に就任。さまざまな日系団体の活動にボランティアとして参加。現在は南カリフォルニア日米協会会長。



人助けが私の喜び
—ロサンゼルス市警(以下、LAPD)の副署長の他にいくつものNPO団体でボランティアをしています。なぜコミュニティー活動をしようと思ったのですか?

警察官というのは、いつもコミュニティーのために働いています。一般の人々が助けを求める時、警察は出動して救出します。コミュニティーを傷つけるような悪い人を捕まえます。私はいつも公僕です。異なった能力を使い、コミュニティーに根ざした組織でボランティアするのをとても楽しんでいます。公僕としてお給料をもらっている一方で、私の時間と能力をボランティアとして提供します。南カリフォルニア日米協会、南加日系商工会議所、Go for Broke National Education Center、他にもいろいろな“帽子”を私は被っています。全てをコミュニティーに還元しています。警察官である他に私ができることをしています。
 小学校6年生の時、私は生徒会に所属していました。その頃からいつも人を助けたいと思っていました。だから警官になりました。友人が何か必要だと言ったら助けて、それが大人になっても続きました。
 父方の祖父、オトジ・ハラはターミナルーアイランドの缶詰工場の管理者でした。祖父は、誰かがアドバイスを求めたり職を探していたりするとどこへでも行ったそうです。コミュニティーのことをよく考えていました。祖父は私が生まれる前に亡くなりましたが、誰かを助けているところとか、私はオトジ祖父にそっくりだと人々は言います。
—2009年は二世ウィーク祭りの実行委員長を務めました。
 あの時の二世ウィークのパレードではオートバイに乗って登場して、その後、将軍に扮して登場して、ねぶたでは跳人になって踊りました。全部一つのパレードでやりました!
 大変なことのようでしょ?疲れるだろうなって思うでしょ?たくさんの人と一緒にいると人々からエネルギーをもらいます。これが、いろいろなことをする私のスタミナとなっています。みんなが体験しながら笑い感動しているのを見ること、これが私に必要なことです。「その瞬間に、私は誰かの人生を変えるほどのことができただろうか」と自問します。人々を助けることが私の喜びです。


特別な義務がある

—今年は、南カリフォルニア日米協会(以下、日米協会)の会長に就任しました。コミュニティーリーダーとLAPDのリーダーは違いますか。

「DEPUTY CHIEF TERRY S. HARA」と刻まれたハラ氏特注のLAPD記念コイン。アメリカ国旗と日本の兜がデザインされている
それぞれの組織が、それぞれのスタイルのリーダーシップを求めます。LAPDでは公共の安全に対するリーダーシップが求められ、ランクによって何をするか期待されます。NPOの会長は、もっとも効率的に事を終わらせることができ組織をリードしガイドすることが期待されるでしょう。効率性、決断、ガイダンス、問題解決などが求められるので、警察官であることが役立ちます。
 私は公僕であって民営の会社の人間ではありません。しかし協会メンバーのほとんどは民営会社の人々です。「公僕のリーダーの私が、どのように組織に利益をもたらすのか、どのように民営のビジネスをしている人々を導くのか」と自分に問います。自問しながら立ち返るのが日米協会は“関係”を築いてきた組織だということです。日系アメリカ人の会長であることが付加価値になり、日米関係のブリッジを強固なものにするために役に立てればとても幸せです。
 私は現在56歳で、これまで私がやってきたことやこれまでの道のりを振り返りながら、私は特別な気持ちを持っています。日系アメリカ人をプロモートして、どんな相手とも関係を築くために、 異なった能力を使いサービスを提供し続けるという特別な義務があると私は感じているのです。


日系人はより日本的

—「私は日系アメリカ人だな」と感じる瞬間がありますか?

日系コミュニティーのイベントに参加して、自分が誰なのかと知ることにより感謝し、日本をより理解できるようになりました。
 日本からのビジネスマンが「日系アメリカ人はとてもフォーマルだ」と言うのです。私の祖父母は明治時代に渡米しました。歴史はそこで止まり、明治時代の状態がアメリカで続いているのです。私たちが話す言葉がくだけていても、今日の日本と比べるととてもフォーマルなんです。日本の人が「日本の文化を学びにアメリカに来なければならない」と言っていました。
 私にとって私の習慣はとても普通です。他を知りません。日本文化はこういうものだと信じています。けれど明治時代のものなんですね。巡り巡って、日系アメリカ人の方が私の日本の友人よりフォーマルで“日本的”だとはとても面白いです。


—日系コミュニティーは変化しています。将来のコミュニティーのビジョンは。

ハラ氏のLAPD内のオフィスには日本刀の飾り、富士山の版画、日本人形などがある
日系コミュニティーには、もっと公共サービスや公職に関わってほしいです。日系コミュニティーが公共サービスに対して十分に興味を持っていると、私は思いません。若い世代がもっと公共サービスに携わることを望みます。警官でも政治家でも何でもいいです。日系アメリカ人は、以前にもまして関わる必要があると思います。
 第二次大戦中、日系アメリカ人は強制収容所に送られました。その頃、もっと(社会に)溶け込み、アメリカに忠誠を誓い、英語だけを話すという考えが全体にありました。これらが私たちを傷つけました。今や違うタイプの言語を話すことが大切になり、他の文化を知ることも大切です。なぜならインターネットやソーシャルメディアのお陰で世界は狭くなってきたからです。
 政府やポリシーの決断がくだされる時、日系アメリカ人がさまざまなレベルで代表となること、公共サービスにもっと関わりを持つことが奨励されなければなりません。
 日系コミュニティーの代表を持つという重要なことを忘れないようにしましょう。そして一般の人々の声になる機会を探しましょう。なぜなら、私たちの家族は、アメリカ史の中で多くの体験をしたからです。
 日系アメリカ人は、もっと主要な役割を政府の中で担う必要があると私は思っています。日系二世や三世の世代はだいたいリタイヤしました。その後を追うグループがまだ出てきていません。日系コミュニティーはダニエル・イノウエ上院議員を失い、もっと多くの日系リーダーが必要です。


静かであることは強さ

—日系リーダーにはどんな性質が必要ですか?

日系リーダーは、もっと前に出て行こうという意志を持つことが必要です。後方に立つのではなく前線に出てリーダーになる。誰かに従うのではなく人々が従うように導く。
 フロントに出るより、むしろ裏方で一生懸命働いていた方が良いという(日系の)文化的な基礎が関係していますが、もっと遠慮なく発言するタイプの人が求められています。


—歴史上の人物からリーダーについて学びますか?

いいえ、私は人々から学びます。ある人は私が静かだと言います。確かに私は静かですが、それは弱いということではありません。ある人は静かであることは弱いと言いますが、静かであることは強さです。人々を見て、聞いて、すべてを取り込みます。そして観察して聞いたことをもとに決断します。私はグループの中では「Man of few words」です。しかし、有益になる時や重要な時に話し、そうでない時は静かにしています。

=Tomomi Kanemaru




2013/12/07 掲載

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