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特集記事



JANMへ行こう!! vol.21 - 相互理解・平和への一歩を踏み出そう
今月のガイド
鈴木康之 さん

1972年に渡米。Kintetsu Enterprises Co. Of Americaの駐在員としてサンフランシスコ市の日本町再開発事業に携わる。2009年に退職するまで日米を行き来しながらリトル東京の発展にも携わる。現在はJANMのボランティアをはじめKintetsu Enterprises Co. Of America顧問、あさひ学園の理事を務める。



—鈴木さんは第二次世界大戦中の生まれですね。日本の戦中戦後を体験して、70年代初頭にはアメリカ西海岸で日系アメリカ人の日本町再開発に携わりました。日米両国で、日本人と日系アメリカ人が戦争から復興する姿を目の当たりにし、また経験もしました。鈴木さんの日本での戦争体験を聞かせてください。

「1943年、日本の敗色が濃くなり不自由なってきた時代に大阪市内で生まれました。祖父は商売を営んでいて余裕のある家庭だったようです。1945年の大阪大空襲で焼け出され、奈良県の親戚の離れに疎開しましたが、この間のことはまったく覚えていません。5歳の頃、大阪郊外の新興住宅街(戦災復興住宅)に引越しました。
 配給通帳を持って近所の米屋によく配給をもらいに行きました。1ヶ月に6日分程度の配給で、米には豆類や雑穀が混じっていました。昼ごはんはまずいふかし芋だけだったりしましたが、物心がついてからそれが不幸だと思ったことはありません。ご近所も皆似たような生活でしたし、父母が工夫して食べさせてくれたからだと思います。父親が戦死した友人が小学校のクラスには何人かいて、明らかに貧しくて気の毒でした」


—日本人の戦争体験者から空襲の凄まじさや食糧難についてのお話をよく聞きます。同じ戦争ですが、日本とアメリカ、日本人と日系アメリカ人、それぞれの体験や苦労は全く違います。しかし、あえて双方の苦労について比較したらどうでしょうか。

「戦後の日本人と収容所の日系アメリカ人のどちらが“生存のための苦労をしたか”については、明らかに日本の都市住民でしょうか。当時の日本の農家人口は70%程度だったと思います。
 世界第一の先進国で農業国である戦勝国と敗戦国の差、爆撃を受けなかった国と都市部にじゅうたん爆撃を受け敗戦し、統治機能を失った国との差でしょう。
 日系アメリカ人の不幸は、民主主義、自由、平等を国是とした自国政府に国民として認めてもらえず、敵国人とみなされ、差別排斥されたことでしょう。日系二世の中には収容されたことを、屈辱、恥としてあまり語りたがらない人がたくさんおられます。
 人としての尊厳を否定される苦痛と食料がない苦痛とは比較できないでしょう。人それぞれだと思います。たとえ苦労自慢をし合ったとしても、生まれるものはありません。問題は、なぜそうなったかを考えることだと思います」


―JANMの展示やガイドの体験談から戦勝国敗戦国かかわらず、戦争で傷ついた方がいると知ることができます。相互理解、平和の一歩を踏み出せます。


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もっと知ってJapanese American!

「尊厳と我慢の芸術 パート①」
第二次大戦中、12万人あまりの日系アメリカ人が、全米各地の収容所での生活を余儀なくされた。
日系三世のロイ・カクダさんは、カリフォルニア州出身で、子供の頃アリゾナ州ポストン収容所に家族と一緒に収容された。砂漠地帯に建設されたバラックは薄い板壁一枚、冬は寒く、夏は49度にも達した。そんな厳しい環境の中でも、人々は限られた材料を使い、様々な日用品や工芸品を作り、生活に希望を見出した。ロイさんに当時、両親や知り合いが作った家具や装飾品などを見せてもらいながら、話を聞いた。



「箪笥」古びてはいるものの、70年も前に職人ではない人達が作ったとは思えないほど立派にできている
この箪笥は、知り合いのミセス高宮からもらったんだ。彼女が荷物処分をするところを僕が引き取った。ミセス高宮は父の親戚の奥さんで、長らく知り合いだった。夫のミスター高宮は(収容所内の)僕の家族が住んでいたブロック38に住んでいて、とても親しかったんだよ。


パインウッド製、最上段の収納箱だけは、オレンジウッドでできている。
ミスター高宮は作り方を自分で学んだと思う。どういうことが起こっていたかというと、収容所で誰かが家具の作り方を知っていて、それを皆で真似してたんだね。


ロイさんの父親が作った椅子。皆が真似をしたことから収容所内の椅子はどれも同じような感じだった
当時、収容所には木材店があって、そこでみんな材料を買って、自分達で家具を作ってたんだ。元々の木材は収容所の廃材で、素材は安価なパインウッドだった。


ロイさんの父親が使っていた、鰹削り節機
父は食堂で働いていたから、この鰹削り節機を自分で作った。料理でダシを作る時に必要だもんね。でも仕事中にやけどをしてしまい、それから食堂では働けなくなってしまったんだ。


食堂で使った箸入れ
父が作ってくれた、この箸入れを思い出すね。当時僕は子供だったけど、妹とメスホール(食堂)に行くたびに持っていった。これは妹のやつなんだけど、後でペンシルボックスとして使うようになってたよ(笑)。


ロイさんの父親が母親のために作ったブローチ
このブローチは、父が母に贈ったもの。当時、隣にダイヤモンドを削る機器を持っている人が住んでいて、父はアゲット(めのう)の宝石をどこからか見つけてきて、それを削って、あしらったみたい。とにかく限られた物しかなかったから工夫したんだと思う。母はうれしかったんじゃないかな(笑)。


写真・文 JUNZO ARAI, 写真・文・構成  TOMOMI KANEMARU


JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!

入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2013/12/14 掲載

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