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特集記事



JANMへ行こう!! vol.8 - 歴史から学んで、未来に生かそう!
今月のガイド
ジム•タナカさん

オレゴン州ポートランド生まれの日系3世。第二次世界大戦中は、オレゴン州ポートランドのアセンブリーセンターで暮らし、その後、アイダホ州ミニドカの収容所に移った。2000年よりJANMでボランティア・ガイドを始めた。






―JANMで、ボランティア・ガイドを始めたきっかけをお聞かせください。

「2000年にリタイアして、この後何をしようかと考えた時、妻が『キャンプ(収容所)に入っていた貴重な体験を次の世代に伝えるボランティアをしたら』と言ったんだ。それが、ボランティアを始めたきっかけだよ。
 それから歴史的事実を分かりやすく伝えるために、たくさんのリサーチをしたんだ。3年半かけて、報告書を完成させた。これは子供に残したい、私のプロジェクトなんだよ」


―タナカさんのご家族は、1947年12月7日に真珠湾が攻撃された後、「アセンブリーセンター」に入ったそうですね。そのセンターとマンザナーのような「収容所」の違いを教えてください。

「アセンブリーセンターは、アメリカ政府が西海岸に住む“普通”の日系人を沿岸から移動させるという目的で用意した施設だけど、日系人を収容所に入れる前に日系人を集めた場所だった。収容所は、アメリカ政府にとって“脅威”と判断された人が中心に集められた場所だったんだ」

―アセンブリーセンターでの生活を教えてください。

「真珠湾攻撃の翌年の5月、私の家族は1週間の猶予通知を受け、ポートランドのアセンブリーセンターに移った。『アセンブリーセンター』の定義は、充分な住居スペース、電気、水道施設の3つが揃っていることだったけれど、生活はとても大変だった。
 特に冬場は氷点下まで気温が下がり、ストーブの火を炊くのに忙しかった。ベッドは全て手作りで、とても固かったのを覚えているよ。トイレも掘っ建て小屋のようで、仕切りがないから精神的に辛かったね」


―戦争で全てが一変してしまった。トイレの仕切りもないなんて…とても屈辱的な感じがします。
「真珠湾攻撃の後、日本がアメリカ本土を攻撃するという噂があって、もしそうなった場合、西海岸の日系人が日本に加担するのではないか、とアメリカ政府は恐れたんだよ。
 でも、日本人が私たちを信用すると思うかい?私たちの家族は、1900年初頭に日本から来て、私も私の両親も、自分たちが日本人であるという感覚はなかった。アメリカからも日本からも信用されなくて、“間に挟まれた”状況に置かれた気持ちになった」


―アメリカはネイティブ・アメリカ人と移民で成り立っているのに…。ある人種だけをとりあげて強制収容するなんて、二度とあってはならないことです。



もっと知ってJapanese American!

Kiki Sukezane 日本で演技を学び、昨年夏に渡米。ハリウッドで歌や演技を勉強中。来年は子供むけのドラマが2本決定。
清水紳一郎(シン)2006年、俳優を目指し渡米。多数のTV、インディーズ映画に出演。出演作品はカンヌ映画祭でも上映された。
 今回のテーマは「結婚」。日系アメリカ社会における結婚のお話。
シン「キキは、何歳ぐらいで結婚したい?」
キキ「30歳になる前に結婚して子供を生みたい!」
シン「俺は結婚じゃなくて、結婚式だけしてみたい!」
キキ「え?…」

 19世紀末に始まった日本人移民。その多くが「出稼ぎ」だった。よって独身男性がほとんど。
 アメリカで仕事もなんとか安定し、「そろそろ結婚したい」という時、圧倒的な女性不足。しかも異人種間の結婚は法律によって禁止されていた。また、婚活のために長期休暇をとって帰国したり日米間を往復する余裕などもなかった。



© M.Koga Courtesy of Bishop Museum
 そこで考えだされた方法が、「写真結婚」。日本に自分のお見合い写真を送り、花嫁を探そうというのである。これならお金も時間もかからないし、実に手っ取り早い。男達は、こぞって着慣れないスーツを着込み、身だしなみバッチリの写真撮影。気に入った女性と写真交換をして、相手の到着を待った。
 こうしてアメリカへやってきた花嫁たちが「写真花嫁(ピクチャーブライド)」だ。1920年までに2万人以上もの女性達が海を渡った。日本での貧困生活には明るい将来を見ることのなかった若い女性達は、ここぞとばかりに夢を求めて海を渡ったのである。
 しかし、初々しい花嫁達の到着を、今か今かと待ちわびる男性だったが、いざ対面すると写真とのあまりの違いに落胆。女性の方も、対面した男性は、写真よりずっと年を取った中年男性だったり、着ている服も何だかみすぼらしく、後で話を聞くと、聞いていたような財産もなかったという始末。中には結婚を拒んで、帰国したり逃げたりする女性もいたとか。しかし、それでも花嫁達はその状況を受け入れ、夫と共に懸命に働き、ささやかな家庭を築いた。
HAPA(ハパ)の誕生
 「写真結婚」から1世紀あまりを経た現代。日系アメリカ人の結婚はどう変わったのだろうか。

 ほとんどの日系一世や二世の男女が、同じ日系人と結婚したのに対し、日系三世以降の世代は、日系人以外の人種と結婚することが多くなった。1980年の調査では6割が日系人以外と結婚している。
 異人種間の結婚を象徴するのが「HAPA」の存在だ。「HAPA」はアジア系と非アジア系との間に生まれた子供のことをいい、もともとは、ハワイ語のハーフ(半分)に由来する。近い将来、「HAPA」が、日系人口の半数以上を占めるだろうといわれている。日系アメリカ人の結婚は、時代を経て大きく変わったといえる。



JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!

 入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、先着50名にNITTO TIRE特製バッグを、読者来館者に日系移民史ドキュメンタリー「知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人」のDVDをプレゼント。
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。





JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
 日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645


写真・文 ALICE HAMA, 写真 TOMO KAWATE,  文・構成 JUNZO ARAI, TOMOMI KANEMARU, 監修 MITSUE WATANABE (JANM MANAGER, JAPAN MARKETING & PR)

2013/06/15 掲載

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