JANMへ行こう!! vol.1
日系移民史を知る上で重要な役割を果たすロサンゼルス・リトル東京にある全米日系人博物館(Japanese American National Museum、JANM)。同館でガイドを務めるボランティアに、自身の体験や逸話を中心にインタビューした。知られざる日系移民史22回シリーズ。シリーズ第1回目は、館内ボランティア23年目を迎える、御年92歳の日系二世、鮫島等さん。
鹿児島県から鉄道工事の作業員として渡米した父長三郎さんと母つなさんの次男としてカリフォルニア州パサデナ市に生まれた。「パパは九州男児で非常に厳しい人だった」と語る。等さんは、日本語が堪能だったので、第二次世界大戦に突入する混乱期にアメリカ陸軍より召集され、日系二世を中心として編成された語学要員部隊、アメリカ陸軍情報部(Military Intelligence Service、MIS)に所属した。戦中、等さんは、日本人捕虜の尋問をするためフィリピンに派遣され、戦後は、日本で行われたB・C級戦犯の裁判の法廷通訳・研究員として横浜米第8軍司令部で数年間職務に就いた。
命がけで行動する活力を次世代へ
JANMを訪問した松平健(中央)と大地真央(右)のガイドをした鮫島さん(左)
JANMでボランティアを行う上で特に刺激となったのは、ソニーの創業者の一人、ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立した第一人者、盛田昭夫さんの言葉だった。「日本から来る若者が、買い物や観光で訪れるだけでなく、この地で生き抜いてきた先人たちの過去を学んでほしい。そのためにもJANMのような場所が大切」。等さんはこの言葉を胸に刻み、 「戦死した仲間のためにも、彼らがいたという事実を証明したい。命がけで何かを行うという活力を、次の世代に伝えていきたい」と、今後も最大限の情報発信に力を注ぐ決意を話した。
日米の狭間で苦悩
前後、東京で行なわれたB・C級戦犯の裁判。鮫島さんはMISとして活動した
「アメリカと日本の間に挟まれていたんだよ」。等さんは、第二次世界大戦中と戦後の複雑な心境と苦悩を表す3つの出来事を語った。1つ目は、横浜米第8軍司令部で経験した「悲しい再会」。等さんが幼少期を共に過ごした友人のほとんどが戦争に行き、そのうち5人が戻らなかった。「一人は“敵”になって死んでしまった」。 1925年以前に米国で生まれた日本人は二重国籍を持っていた。親友のKさんは15歳で父親を亡くし、母親に連れられて姉と一緒に親族がいる日本に帰った。その後、戦争が激化。Kさんは日本軍に召集され、日本兵としてビルマに送られて戦死した。戦後、等さんは、横浜米第8軍司令部が担当していた法廷裁判の通訳を務めていたKさんの姉との偶然の再会し、親友の死を知らされた。「なんでこんなことになったのだろうと、非常に無念だった」
(vol.2につづく)
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*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。
JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。
100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
Phone: 213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)
★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
Phone: 213-830-5645
写真・KAYO KAEDE 写真・構成 ALICE HAMA, TOMOMI KANEMARU
監修・MITSUE WATANABE (JANM MANAGER, JAPAN MARKETING & PR)
2013/03/02 掲載