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コラム

編集部
国総流詩吟会「創立15周年記念祝賀吟詠大会」

2019-12-31

吟士らに雅号、100歳の会員を表彰

「創立15周年記念祝賀吟詠大会」に参加した来賓と吟士ら


 国総流詩吟会(世木錦光会長)は、11月24日、ボイルハイツのサクラガーデンズ・コンサートホールで、「創立15周年記念祝賀吟詠大会」を開催した。

 式典は5部形式からなり、開会の挨拶、黙祷、合吟、来賓歓迎のあと、今年100歳になった吟士の越智さんが乾杯の音頭をとった。

 第2部の式典は、先導・世木会長で国総流会員一同による合吟「祝十五周年の詩」で始まった。

創立隆々十五年 
詩を詠じ道を求めて先賢を敬う 
頌風(しょうふう)の吟舞は天下に鳴る 
大雅流魂 萬古に伝う

 世木会長は国総流の15年を振り返り、「私たちは音楽の伴奏を取り入れ、吟詠に入りやすくと工夫しています。他流派との違いはありますが、詩吟を広めるための一つの方法として、これからも研鑽を続けていきます。私たちを支えてくれた方々に感謝申し上げます」と述べた。来賓の水谷ハッピー南加県人会協議会会長、川田薫南加日系商工会議所会頭、松尾浩樹在ロサンゼルス日本国総領事館首席領事が祝辞を述べた。

挨拶する世木会長


 続いて会員吟士らに雅号昇格、及び功労者表彰が行われ、世木会長から14人に彰状が授与された。

 第3部の祝賀吟詠大会は薩摩琵琶奏者の武津宣子さんの演奏で幕が開け、「鶴の恩返し」を題材にした語りと琵琶の音色が会場を包んだ。そしてサクラガーデンズに暮らす生徒らがこれに続き、内田錦章さん先導の合吟、華道吟では津加山錦煌さんの吟詠に合わせてコリンズ国秋さんと吉川総花さんが華を活けた。

 書道吟・長寿の詩を越智国忠さんが吟じ、舟木禅医さんが白幕に筆を運んだ。終了後に世木会長から越智さんに「100歳記念」の表彰状が手渡された。

越智国忠さん

 第4部では、招待された南加詩吟連盟から尚道会、錦友吟詩会、国風会、錦龍吟詠会、国誠会、ハワイ島からアロハ詩吟会が加わり、代表者らが各派の持ち味を活かした吟詠を披露した。

 第5部のトリは国総流が務め、「故 磯部錦舟先生の七回忌を偲んで」と題し「暮秋」、「麦浪」、「桜花の舞」、「秋思」、「東籬の菊」を会員らが吟じた。これに武津さんの薩摩琵琶の演奏が彩りを添えた。
 世木会長は「これからも道に終わりがないように、修行を続けます。本日参列していただいた皆様、ありがとうございます」と謝辞を述べた。

「故 磯部錦舟先生の七回忌を偲んで」を吟じる会員ら


雅号昇格者:金瀬、内田、吉井、勝又、コリンズ、伊藤、吉川、中川、是枝、バートン、中村(敬称略)
功労者:四方、金瀬、土斐崎、内田、吉井、芥川、勝又、津加山(敬称略)

雅号昇格者と功労者

(記事と写真:国総流詩吟会提供)

【羅府国総流詩吟会の歴史】

2004年8月15日 羅府国総流詩吟会発足式。会員数:25人。指導者:世木錦光、今原錦水、四方錦讃、磯辺錦舟。
国総流詩吟会の指導法:A. 発声方法、B. 45種類の節調、C. 詩吟伴奏(水光社)コンダクター200曲入り。①国誠会の勇壮吟、②国風会の情景吟、③錦声会の悲哀吟。
詩吟の作者の気持ちを描く・表す。漢詩の勉強・日本語の分からない人には英語で詩吟を説明。
2007年 南加詩吟連盟に入会
2009年 国総会5周年記念祝賀詩吟大会をクワイエットキャノンにて開催。
2014年 国総会10周年記念祝賀詩吟大会をミヤコホテルで開催。
2019年 国総会15周年記念祝賀詩吟大会をサクラガーデンズ・コンサートホールで開催。

【世木錦光会長 略歴】
1940年8月31日 ロサンゼルスで誕生。父・日系2世、母・ハワイ出身の3世。
1942-1946年 マンザナとツールレークの日系人強制収容所で過ごす。
1946年1月 家族全員7人で日本に渡り、山口県岩国市で中学1年生まで過ごす。
1954年 ロサンゼルスに戻り、中学・高校を卒業。大学は1年で中退。
1960年 アメリカ空軍に入隊。
1968年~1970年 空軍を除隊し、時計学校に進学して卒業。
1970年 国誠会東羅府支部で師範を務める父、世木国厳の下、国誠会東羅府支部に入門。
1980年 父・国厳に代わり、支部の担当になる。
1989年 国誠会の師範免許を取得し、国仁を名乗る。
1999年 羅府国誠会会長就任。
2002年 羅府国誠会を脱退。
2004年 独立し、国総詩吟会を発足。


【父・世木国厳氏と国誠流初代宗家・荒国誠氏との友情に導かれて】

アメリカに詩吟をもたらした国風流詩吟会宗家の雨宮国風氏(中央)、宮川国幸氏(左)、北山国隆氏(後ろ中央)、荒国総氏(当時・後の国誠流詩吟宗家の荒国誠氏)


 世木錦光国総流詩吟会会長には、以前インタビューで、詩吟を始めたきっかけについて尋ねたことがあった。

 父親の世木国厳氏が国誠流の国誠会東羅府支部で師範を務めており、錦光会長が経営していた時計店で詩吟のクラスを開いていた。そのうちに錦光会長も父親の下で詩吟を習い始めたそうだ。

 今回は、父・国厳氏が詩吟を始めたきっかけを、錦光会長に聞いた。

 世木国厳氏は、詩吟とは別に、国誠流の初代宗家、荒国誠氏と友人で、錦光会長にとっても国誠氏は“良いおじさん”で、よく抱っこしてもらったという。

 1918年、国誠氏は福島県相馬市からアメリカにきた。そして1917年にダウンタウン・ロサンゼルスにオープンしたばかりのグランド・セントラル・マーケットで、メロンを販売していた。このメロンは、国誠氏の父兄が働くインペリアルバレーの農家で作られたものだった。

 国厳氏もグランド・セントラル・マーケットで働いていた時期があり、そこで国誠氏と出会った。また国誠氏はメキシカン料理が好物で、世木夫人(錦光会長の母親)が作るメキシカン料理は「美味い」と大のお気に入りで、国誠氏と国厳氏の友情は深まっていった。

 1941年に日米が開戦すると、西海岸で暮らしていた日系アメリカ人二世と日本人(その後の日系一世)は強制収容された。国誠氏はカリフォルニア州のマンザナ収容所に送られ、その後、ツールレイク収容所に移された。世木一家も同様だった。

 日系人たちはたった二つのトランクの所持品が許され、灼熱と極寒のマンザナに追いやられ、心身ともに大変厳しい環境にいた。そんな中、国誠氏は「詩吟の会を作ろう」と呼びかけた。国誠氏は国風流宗家・雨宮国風氏から詩吟を学び、当時は「荒国総」と名乗り、詩吟の指導も行っていた。収容所内には国総氏の生徒も多く、早速、詩吟の会が始まった。後に、この会が、荒国誠氏を宗家とする国誠流詩吟会の誕生へとつながっていく。

 国厳氏はマンザナ収容所で荒国総氏から詩吟を習い始め、そして国誠流が発足後は国誠流の師範となり、多くの吟士を指導しながら活躍した。

=文・Tomomi Kanemaru


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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