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コラム

編集部
ベティ鈴木が日本人初の殿堂入り 女子アメリカンフットボール

2019-12-21

20年間の79番・選手から新たな挑戦へ

世界的に有名なファッションデザイナー、タダシ・ショージからのお祝いのドレスを着て式典に出席



アメリカンフットボールの本場、アメリカで、女子アメフト界を牽引してきたベティ鈴木選手が、日本人初の殿堂入りを果たした。12月6日、殿堂入り式典がラスベガスで行われ、鈴木選手に記念の盾が授与された。

殿堂委員会は、鈴木選手が、異国においてリーグ最長記録となる20年間も選手として活躍し、コーチやオーナーも経験、そしてアメリカのアメフトについて日本語で世界中に発信し、アメフト普及に貢献したことなどを評価した。

式典で、鈴木選手は、これまで出会ったチーム、コーチ、選手に感謝の意を表し、「You all made me a better player and a better person」と述べた。

今季で引退を決意した鈴木選手に、殿堂入り、引退、今後の抱負について聞いた。



2019年に新たに殿堂入りした女子アメフトの選手たち。全米のチームから選出された


ーアメリカンフットボール本場、アメリカの女子プロ・リーグで殿堂入りをした感想は。

何万人いる女子選手の中から選ばれたことが本当に夢のようです。選ばれると思っていなかったので。

ー今年で、20年間の選手生活を終えるが、引退を決意した理由は。

優勝チームを作るのに3年はかかると思っています。今年もスターター(先発)選手だったので、来季もプレーできるとは思いますが、3年はどうだろうか…と考えました。

この20年間で、2012年には全米優勝でき、2017年からはチームオーナー兼選手としてやってきました。優勝こそできませんでしたが、準優勝チームを作ることができました。そして今回、殿堂入りをすることができたので、フットボール界では全てをやり遂げた感じがあります。

(写真左)2012年の全米優勝チーム、 San Diego Surge 
(写真右)2012年、全米優勝。チャンピオンカップを持つ鈴木選手



ー思い出に残っていることは。

長い選手生活の中で思い出深いのは、やはり最初のチームと優勝した瞬間とオーナーをやっていた3年間です。

ー20年という驚異的な選手生活、しかもプレーヤーとして衰えず活躍できた要因は。

親からもらった強靭な身体と、ボディビルに出会って、栄養を見直したこと。あとは長年の経験でしょうか…。

L.A. Warriorsのセンターとして活躍する鈴木選手


ー鈴木選手にとってアメフトとは。

人生の半分近くの間、アメフトをやってきて、アメフトを通して社会を見てきたので私の人生の全てです。アメフトの鈴木から、元アメフト選手の鈴木になるのが、ちょっと不安です。

ー日本人初のプロ・アメフト選手として日本人初の殿堂入りを果すなど、日本人がなし得なかったことに挑戦し、達成してきた。これから挑戦したいことは。

スポーツと名がつく分野ースポーツ栄養、スポーツリハビリ、スポーツ選手のためのトレーニング、スポーツイベントなどーでは、日本はアメリカに比べて10年くらい遅れていると思う。これからは、私がアメリカのスポーツ界で培った様々な経験や知識などを、日本のスポーツ界や他の分野などで活かし、少しでも貢献できたらと思っています。

対戦チームのヒットをかわし、タックルに向かうCalifornia Quake の時の鈴木選手



ーこれからの活動予定は。

コーチの依頼もいただいているのですが、私はコーチ業にはあまり興味がありません。すでにオーナー業も経験し、アメフトではやり尽くした感があります。今後は、ボディビル界で活動していこうと思っています。主に栄養関連ですが、日本向けにセミナーなどのコーディネートをしていきます。

ーこれまで応援をしてきたファンに向けて、メッセージを。

家族、友人、身近な方から、アメフト経験者、ブログを読んでいただいている方々、TVで一度観ただけの方、多くの方々に応援いただいた20年間でした。本当にありがとうございました。「ありがとう」の一言では言い尽くせませんが、それ以外の言葉が見つかりません。

私の攻めの人生はまだまだ続きます。今後はアメリカにとどまらず、世界のボディビル界を攻めていきますので、私のセカンドキャリアもお楽しみに!

ゲームの後、鈴木選手を応援に来たファンたちと記念写真

ベティ鈴木選手のチーム暦

1995-2000 – Tokyo Lady Kong, Japan.
2000 – Daytona Beach Barracudas
(WPFL/division champ)
2001-2002 – Arizona Caliente
(WPFL/division champ)
2003 (Spring) – Philadelphia Phoenix
(NWFA/division champ) 
2003 (Fall) -2004 – Long Beach
Aftershock (WPFL) 
2005 – SoCal Scorpions (WPFL)
2006 – Antelope Attack (NWFA)
2007 (Spring) – All Valley Attack (NWFA)
2007 (Fall) – LA Amazons (WPFL)
2009-2011 – California Quake (IWFL)
2012 – San Diego Surge
(WFA Champions)
2013 –IFAFチームのアメリカ代表に選出されたが国籍変更が間に合わず断念
2013 – Pacific Warriors
2014 – San Diego Surge
2015-2018 – L.A. Warriors
2019 – San Diego Rebellion


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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