キム・ホンソンの三味一体
vol58 その後はどうなるの?
2016-06-23
先日、生まれて初めて眼科に行きました。子供の頃から「学力はいま一つだが視力だけは負けない」と言った具合だったので、これまで眼科に行く必要性を感じていませんでした。今回の外来も最近目が少々疲れやすいと感じていたところ、たまたま新しくなった健康保険に眼科も含まれていたことを知って好奇心半分に行ってみたのです。「特に何の問題もないのだけれど、最近目が疲れやすくなった気がするし、照明が暗いと本が読みづらい気がします。」と僕が来た理由を述べるや否や、先生が「すべてお見通しの微笑」を浮かべたように感じました。
なんだか大げさなレンズだらけの機械の前に座り、「これを覗いてみてください」とレンズの固まりを僕の目の前に近づけてくれました。なんということでしょう。先生の顔がビックリするほど鮮明に見えたのでした。今まで見えていなかった詳細なところ、例えば目の近くのシワや肌の質感まで何もかも鮮明かつハッキリと見えたことがまず衝撃でした。そして次の衝撃は「老眼」という診断名です。自分の肉体の老化の過程を公式的な記録として初めてこの世に残した瞬間でした。今年で47歳になり、薄々とは気づいていた初老の到来ですが、「老いた眼」とハッキリ宣言されると少々戸惑いを感じてしまいます。文字を読む時だけ掛けなさいと作ってもらった眼鏡をまだ机の引き出しの奥にしまっているのは、一種の現実逃避なのだろうなと思いながらもなんとか眼鏡なしで小さな文字を読もうと意地を張っている自分をおかしく思いました。
今月で5歳と11ヶ月になる娘に言わせば、47歳も100歳もあまり変わらないらしいのですが、その娘が最近やたらと将来のことが気になるようです。「幼稚園が終わって12th Gradeも終わったらどうするの?大学が終わったら?仕事が終わった後は?100歳になった後はどうなるの?みんな死ぬの?死んだ後はどうなるの?死ぬのはいやだ。」と先日質問攻めに遭いました。「プリスクールが終わって初めてキンダーに行った日のことおぼえてる?初めは緊張して不安で行きたくないって言ってたけど、パパと手をつないで教室の中まで入って、先生のお話し聞いてたら大丈夫になったよね。」「それと同じ。いつか死ぬ時が来たとしても一人じゃないんだ。イェス様が手をギュッと握って一緒に歩いてくれるんだよ。何も怖くないよ。」そう答えたら、何だか僕自身も慰められたように感じました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。