苦楽歳時記
vol123 ペンの日
2014-11-21
嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並んで、日本の能書家の一人である弘法大師(空海)は、よほど腕に自信があったかとみえて筆を選ぶことをしなかった。
『古今物語』によると、弘法大師にも筆の誤りがあった。勅命(ちょくめい)を受けた弘法大師が、門に掲げる額に「応天門」と書いたときに、「応」の字のまだれの点を打つのを忘れてしまった。
高々と「応天門」の額は打ちつけられて、誤字に気づいた弘法大師は、さぞ驚いたことであろうと凡人は考えるが、すかさず筆を投げつけて点を打ったというのだから、さすがは弘法様である。
戦後活躍したほとんどの作家は万年筆を使っていたが、こだわりを持つ者も何人かいた。鉛筆派の正宗白鳥、河上徹太郎、源氏鶏太、村上元三。毛筆派の永井荷風、谷崎潤一郎、林房雄、中野重治。Gペン派の中山義秀、上林暁。
福沢諭吉はこの頃からほぼ半世紀も前に、自らが主宰する『時事新報』の社説に、毛筆を使うのは、未だにその頭にちょんまげをのせているのと同じように旧弊なことで、時代の流れに順応しえないので、日常の生活に「万年筆のすゝめ」を主張した。
明治十七年(一八八四)に日本へ万年筆が輸入されてから十九年後、明治三十六年(一九〇三)に、ロンドン留学から帰国した夏目漱石は、しばらくして愛用のペリカンの万年筆で小説を書き始めるが、毛筆で綴る機会が将来減少することを察知していた漱石は、産まれた長女に筆子と名を授けた。
イギリスにペン・クラブ(国際的文学者の団体)が誕生したのは、漱石の死歿から五年後の一九二一年。P・E・Nは、詩人、劇作家(Poets・Playwrights)のP。随筆家、編集者(Essayists・Editors)のE。小説家(Novelists)のNを表し、全体としてペン(PEN)を示した。
島崎藤村を初代会長として日本ペン・クラブが発足したのは昭和十年(一九三五)十一月二十六日。この創立記念日が『ペンの日』に定められている。
僕はにわかに、スタンダールの墓標に刻まれている熱き言葉を想い起した。「生きた 書いた 愛した」。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。